社会と監査 第8回 企業の監査から公的部門の監査へ
先週までの講義で日本の会計士監査制度の性格がはっきりしたと思います。イギリスで発生してアメリカで発展した会計士監査というものは、株式会社に対する投資と密接に関係しているのです。そのため、アメリカから伝わった日本の会計士監査も、去年の「百合野の監査論」でお話ししたように、株式会社に対する投資と密接な関係を有していました。戦後のGHQの占領政策は日本人を経済的に豊かにすることを目的にしていましたので、会計士監査制度の構築は、それはそれで非常に重要な事柄でした。これについては、とくに第2回と第3回の講義を参照してください。
会計士監査という社会システムの構築は日本の株式取引の面にとっては画期的な前進でした。何しろ、GHQの政策とほとんど遜色のない会計士監査制度の構築については、明治時代の末から昭和の初期に至る期間に、社会的に大いに盛り上がっていたのです。新聞・雑誌は言うに及ばず帝国議会をも巻き込んだ幅広い国民的議論が行われていたことについては、「百合野の監査論」の第6回、第7回、第9回を参照してください。
しかし、戦後のスタートから今に至るまでずっと「監査=公認会計士による財務諸表監査」と固定的に考えてきたことが一つの重大な誤解を生むことにもつながりました。それは、「公認会計士による財務諸表監査」は社会的に重要だけれども、「公認会計士による財務諸表監査」以外の監査はそれほど重要ではない、と見なすことにつながったのです。「公認会計士による財務諸表監査」以外の監査には、たとえば企業の監査役監査や内部監査、会計検査院の検査や地方自治体の監査委員監査、そして最近の日大事件で注目を集めるようになった学校法人の監事監査などがあります。
企業の監査役監査や内部監査は公認会計士監査との連携(いわゆる「三様監査」)の面で議論されることはありますが、会計検査院の検査や地方自治体の監査委員監査に国民や住民の注目が集まって、監査される側の国や地方自治体の責任者がその責任を痛感する場面を見ることはほとんどありません。いつのことだったかちょっと記憶がありませんが、会計検査院から不当事項の指摘を受けた当時の麻生太郎財務大臣がうすら笑いを浮かべながら「カエルのツラにしょんべん」的態度を見せたTVの画面は見るに耐えませんでした。(もっとも、この人はつい先日の細田議長・海江田副議長に対する祝辞でも漢字の読み間違いをしでかしたレベルなので、今さらここに書くことでもないかもしれませんが)
しかも、このことによって、アカウンタビリティ(説明責任)を含む「責任」の範囲が企業に代表される民間部門に限定される傾向が生まれてしまっているという重大な悪弊を生むことになりました。一例をあげれば、三菱電機の検査不正問題では責任をとって社長が辞任しましたが、財務省の公的記録の隠蔽・改竄・破棄では大臣も高級官僚も責任を一切取りませんでした。「公的記録」というのは「国の記録」ではなく「国民の記録」という意味です。それを隠蔽・改竄・破棄したわけですから、国民に対して責任を取らなければならないはずです。しかし、取りません。
「社会と監査」がテーマにしているのは、そのような政治家や官僚に代表される公的部門の責任者のアカウンタビリティ、情報公開、公開情報の監査、そして、それらを通じた国民の監視、を取り扱っています。
前回から今日までの間に生じている講義に関連した問題の一つが「国会議員の『文書通信交通滞在費』が在職1日でも満額の100万円が支払われる」問題。今この問題の論点は「日割り計算」に集中していて、国会でそのようにすることが与野党で合意されたようです。何事に対しても動きの遅い国会にしては素早い動きを見せました。これだけで一件落着と行きたがっているように見えます。
実は、重要な点はここではありません。この「文書通信交通滞在費100万円」が「実費払いではなく、領収証不要の渡しきり」になっていることこそが重要なのです。民間の企業でも個人でも同じですが、納税申告の際に領収証を保管しておかないと、税務調査で一方的に税額が決められてしまっても対抗することはできません。それなのに、国会議員に税金から支払われる「文書通信交通滞在費100万円」に関してこのような不公平がまかり通っているのは何故なのでしょうか。それは、ひと頃流行語になったように、日本には上級国民が存在していて別扱いになっているとしか思えません。
政治資金も同じです。政治資金収支報告書に記載していない入出金があった場合、国会議員は訂正することでペナルティなく済まされますが、民間の企業でも個人でも申告書に記載していない収入があった場合、過少申告加算税や重加算税が課されたり罰金を払わなければなりません。国民の収めた税金を分配する権限のある国会議員がそのような甘い扱いを受けていいのだろうかと、私は昔から思っています。
先週の講義の最後に示した新聞記事は、650億円も集めたネズミ講を野放しにしたために多数の被害者を産んだ責任について金融庁は何も説明をしなくて済むのか、ということと、郵便局長人事は憲法違反ではないかという疑問に対する説明責任は誰にあるのだろうか、ということに関連しています。
今日は、休日の間の平日ですし、いい夫婦の日でもあるので、講義はこのあたりまでとします。