博多・天神落語まつり 其の2

2日目は、1日目と同じ会場のお昼の落語会。14時から始まるので昼食の時間を考えると遠出はできないし、16時半からの会議にリモートで出席しなければならない、という窮屈な日だった。ホテルのルームサービスで遅い目の朝食を取ってから、中洲方向に歩いてそのエリアの見物をしてからある有名なお店で昼食を取り、会場に向かった。落語会が終わった後は好き勝手に退場するのではなく、三密を避けるために指示に従って退出した。30分でホテルに戻ってZOOMを起動し、無事に会議に出席。その終了後、再び朝と同じ方向に歩いて夕食を取ったのだが、これらについては前回同様「改めて」。

実は、この落語会が今回、私が一番期待した落語会だった。その理由は、まず柳家三三が好きだということ、次に柳家花緑と春風亭小朝を定席で見る機会があまりないのでこの機会に見たかったこと、そして春風亭正朝と柳亭市馬の安定感のある落語をゆったり聴きたかったこと、だった。つまり、真打披露される春風亭柳枝は全く知らないままにこの落語会を予約したのだった。

さて、口上の司会をした三三の差配は見事に雰囲気を盛り上げたが、落語の方も実にスマートだった。定席で三三の落語を初めて聞いたときに「この若さでここまで出来上がった芸を見せるのか」と驚くとともに上方落語との層の厚さの違いを思い知らされたのだが、今回も、声の出し方からして上方とは違っていることを再確認させられた。

花緑の語り口は軽妙洒脱で「さすが小さんのお孫さん、何十人抜きで真打も宜なるかな」と感じさせるのが当然、と思うのだが、実は、今やたくさんの人たちが知っているように、彼はディスクレシアという発達障害を患っていて、知的能力および一般的な理解能力などには異常がないにもかかわらず、文字の読み書きに著しい困難を抱えているのだ。失読症、難読症、識字障害、読字障害、読み書き障害、とも訳されるディスクレシアで一流の落語家であることの大変さは想像にかたくないが、今日の花緑もそんなことは微塵も感じさせなかった。

正朝と市馬は流石の貫禄。「町内の若い衆」も「粗忽の使者」も手慣れたストーリー展開だったが、江戸の身分制度を感じさせられた。とくに「粗忽の使者」は、上方落語では「月並丁稚」という演目で、丁稚が主役。春團治の高座を思い出して、やりとりがオーバーラップしたが、この、サムライ社会と商売人社会の仕組みの違いが落語の構成に大きく影響しているところが実に興味深かった。それにしても、このお二人なら、定席での代演は無限に可能なのではないかと思った。実は、昔、新宿末廣亭で、桂伸治(だったか、すでに文治を襲名していたかは記憶にない)が三人分の代演をした舞台を見たことがあるが、何事もないかのように代演をこなしていたのには舌を巻いた。

小朝の雰囲気は、これは別格だろう。何を言っても、面白い。どちらを向いても、面白い。一生懸命に高座を務めていなくても、面白い。やっぱり聞いてよかった。40年以上も前のこと、大阪で桂枝雀と立川談志の高座を見たことがあるが、これはすごかった。多分、小朝もこれに匹敵するのだろう。見ておいてよかった。

で、柳枝の「明烏」だが、吉原ものは、今、聞くと痛々しい。大阪の飛田遊廓が同様の落語のネタになるとは思えないが、本題に入る前に「事情説明」しなければならないような落語は、近い将来姿を消してしまうことになるのだろうなぁと思いながら、会議に出るためにホテルに急いだのだった。