博多・天神落語まつり 其の3

3日目の会場は博多駅ビル9階ホールから地下鉄天神駅近くの銀行ビルの地下ホールの昼席に移った。ということで、2日目にホテルから中洲に向かって歩いた道と全く同じ道を歩いて天神に向かい、この天神ですぐ右手にホールがあったにもかかわらず、商店街に入り込んでしまって方向感覚を失い、会場の方ではなく並行に遥かに行き過ぎてしまった。iPhoneを持っていたのだが、油断してしまったのだ。

私は京都育ちのため、東山さえ見えれば京都市内で道に迷うことはない。しかし、周りの目印が見えないと、道に迷う。今日の場合はパルコが目印だったのだが、商店街を歩いたためにそれが見えなかった。心配になって、途中から外に出たのだが、時すでに遅し。パルコからはずいぶん離れてしまっていた。そこでiPhoneのお世話になりながら、ようやく会場に着いた。

実は、この落語会が、今回、私が一番期待した落語会だった。東京の定席の番組表を見てもこれらの落語家を見る機会はそうそうない。とくに鯉昇と権太楼がお目当てだった。

瀧川鯉斗はイケメンである。CS「寄席チャンネル」で見る鯉斗は小痴楽と一緒のことが多いのだが、両方ともなんとなくチャラチャラしていて好みでないため、肝心の落語を聞いたことがない。パンフレットによれば暴走族の総長だったとのことだが、三遊亭圓丈以来41年ぶりの名古屋市出身の真打になり、古典落語の魅力を伝えるべく真剣に取り組む姿にファン層は幅広いというから、世の親御さんたちは子供が夜中にバイクを乗り回しても悲観することはないかもしれない。ハッと気づく時をうまく捕まえさえすれば、こうして名をなすことができる。落語の方は、和芸は達者なものの、「荒茶」はドタバタになってしまった。

柳家喬太郎は体調不良だった。次に出てきた師匠の柳家さん喬によれば持ち時間を10分余して、あとはよろしくと言ったそうな。高座であれだけ咳き込めば、もしも緊急事態宣言が解除されていなかったらイエローカードが出されていたことだろう。「首ったけ」も廓話だが、しっとりと演じないと味もそっけもない。

柳家さん喬は、10分早く高座を降りた弟子の喬太郎の分も頑張らねばと思ったのだろうか、演目はお得意の「そば清」。低いけれどもよく通る声といい、落ち着いた仕草といい、古典落語を聞いているなぁという気持ちにさせてくれる。この話そのものはポピュラーなのでオチまで知っているのだが、落語会でさん喬の話として聞くと、また格別だった。(たんなる好みの問題なのだろうなぁ)

中入後の瀧川鯉昇は、うまかった。突然話が変わるようだが、今回の落語会で気がついたことがある。会場にいる人が多様であれば、笑う箇所が多様だということ。つまり、年齢構成や男女比が異なれば微妙に笑う箇所が違うという現象が起こり、そのために、座席の前後左右で笑い声がバラバラに聞こえるのだ。京都市民寄席に行くと最近はほぼ老人ばかりなので、このようなことは起こらない。しかし、博多・天神落語まつりは若い人も結構たくさん聞きにきているので、多分その年齢差が反応の違いとなっているのだろう。でも、鯉昇の場合は、ほぼ均一な笑いを誘っていたので、多分、十分に考え抜かれた構成になっているのだろうと想像した。

トリの柳家権太楼はさすがの貫禄。ゆったりと彼の話芸に浸ることができた。落語家らしい落語家、というのがいうのが権太郎の褒め言葉ではないだろうか。明治学院大学の落研出身と言われてもにわかには信じ難い、え?中学を出てすぐに入門したんじゃないの、という印象が拭いきれない雰囲気を感じるのは私一人だろうか。あの笑顔、あの語り口、そしてネットで調べればすぐにわかる18人抜き真打昇進、が忖度の賜物でないことは彼の彼の高座を聞けばすぐに分かる。今日の話も、主要な三人が見事に描き分けられていたので、オチまで行って「いやぁ、いい話を聞くことができた」としみじみ思うことができた。「来年も来たいなぁ」と強く思ったのはこの柳家権太楼の話を聞いたから。

で、夜何を食べたかは、改めて。