2021年3月20日 / 最終更新日時 : 2021年3月19日 myurino 百合野の監査論 「会計不信・監査不信はどこから来ているのか?」(『京滋CPAニュース』2007年4月号) 昨今の国会でのやりとりを見ていると、バレるまでは嘘をついても構わない、「記憶にございません」(小佐野賢治以来の常套句がいまだに恥ずかしげもなく使われている!)と言っておけば嘘をついたことにはならない、という構図がまかり通 […]
2021年3月15日 / 最終更新日時 : 2021年3月15日 myurino 百合野の監査論 「日本の会計士にもっとパワーを」(回天)(『近畿C.P.A.ニュース』1993年3月号) 3月5日に続き、会計士へのエールをもう一つ掲載しておこう。 日本公認会計士協会近畿会から、新しく「回天」というコーナーを設けたので、寄稿をお願いしたいと言われ、書いたのがこの文章。28年も前のことである。私たちの世代より […]
2021年3月10日 / 最終更新日時 : 2021年3月7日 myurino 同志社での記憶 「IT時代の”学び”を考える」(『One Purpose 新入生歓迎号』2001年4月) 今日も過去の座談会でお茶を濁す。 今回のテーマは、IT時代の大学での学び。20年前の新入生向けに熱く語っているのだが、今年1年批判の矢面に立たされた「遠隔授業」を折込んだ話になっているので、今読み返しても面白い。ちなみに […]
2021年3月5日 / 最終更新日時 : 2021年3月5日 myurino 百合野の監査論 「明治時代のパブリック・アカウンタント像」(『京滋CPA会報』1997年4月号) 2回続けて過去の座談会でお茶を濁したので、そろそろちゃんとした文章を書かなければならないとは思いつつ、今回も過去の文章を紹介することになってしまった。理由は、毎日のように報じられている「政と官の緩み」が想像を超える酷さで […]
2021年2月25日 / 最終更新日時 : 2021年3月2日 myurino 同志社での記憶 「21歳〜新島襄の生き方」(『同志社大学通信』2000年6月号) 前回に続き、今日もちょっと手抜きをして、『同志社大学通信』で沖田行司教授と同志社創立125周年記念の対談をした記事を掲載します。この年の秋に開催された第1回ホームカミングデーで「新島襄には会計学者の素質があった?」と題す […]