又 大学の講義って?

前回、「そのうえで、今の学生諸君に取りうる手段を考えてみたい」と書いて、文章を終えた。そして、昨日、「又 大学の講義って?」というタイトルで課外活動についてある程度書いたうえで、今から仕上げて公開しようと思ってMacbookAirを開いたが、昨日書いたはずの文章が見当たらない。あちこち探して見たが、どこにも見当たらない。「下書き」に分類されているのは「又 大学の講義って?」というタイトルだけ。本文がないのだ。「確かに書いたのに」と思いながらはたと気がついた。昨日書いたのは、研究室から監事室に持って行った古いほうのMacbookAirで、会議前の空き時間に書いていたのだけれど、ZOOM会議が終わったあと、下書きに保存しないでMacbookAirを閉じてしまったのだ。保存してあれば自宅のMacbookAirで続きを書くことができたのだが、残念。

というわけで、急遽内容を変更することに。同じタイトルで、ゼミについて書くことにする。

と、書いたブログを公開したのだが、今日、「又又 大学の講義って」を書こうと思ったら、「又」が見当たらない!慌てて娘を呼んで、データの復活をしてもらい、あげることができた。というわけで、以下の文章は15日の夕方に公開したはずの文章。

私は、商学部での44年間の教員生活で37期のゼミを担当した。数字が合ってないのは、助手の3年間は講義もゼミも担当せず、専任講師の初年度は外国書講読だけを担当し、ようやくその次の年から講義科目「監査論」とゼミを担当するようになったのと、在外研究の期間はゼミも講義も持たなかったからである。ずっと残してあった『演習要項』によると、私のゼミのテーマは、「監査会計学」(1980〜1987)→「ディスクロージャー・システムの研究」(1988〜2009)→「グローバルな視点に立つパブリックのための会計・監査の研究」(2010〜2017)と3回しか変わっていない。最近は具体的な内容を示すゼミが多くなったが、昔は「会計学」「経済学」「金融論」と大雑把なものが多かったのだが、私の場合、説明の中身はその都度変えていて、導入部分にアーサー・ヘイリーの『マネーチェンジャーズ』の公認会計士監査の失敗についての会話を引用したり、アメリカの制度の説明やイギリスでの留学生活での経験を書いたりして、手を替え品を替えしながら学生諸君に理解できるような説明を試みていたのがわかる。

【注意事項】に書いた項目も数多くない。1期生から37期生まで一貫して書いていたのは「書籍代を惜しまないこと」であった。4期生からは「わたくしは、自分の学生時代と比較して、今の学生諸君が全般的に何事に対しても消極的であるという不満をもっている・・・枝雀の話に腹をよじり、みゆきの詩に涙する・・・何事に対しても真剣に対峙する青春であってほしい」と書き、その翌年からは私のお気に入りのフレーズ「ゼミナールでは『待っていてもウサギは木の根につまづかない』」さらには「軽々しく『わかりませーん』などと答えないこと」とか「自分の考えていることを堂々と述べること。ゼミでの意思の疎通は『愛し合う二人は見つめ合うだけで相手の思っていることがわかる』という状況からは程遠い」と書くようになり、1992年度から第一番目に「大学生らしく、知的好奇心を旺盛に持つこと」を挙げ流ようになったのは、イギリス留学でイギリスの大学生の知的レベルの高さと知的好奇心の旺盛さに感銘を受けたからであろう。しかし2005年度を最後に書かなくなったのは、「知性」について諦めてしまったからであろう。

最後のゼミ生を募集した2017年度版では、2013年度版から同じ文章を【学生へのひとこと】として次のように書いて、ゼミの募集を終えている。

「耳にイヤホンを詰めないでいろいろな音を聞いてほしい。スマートフォンの画面から目を離して目の前の人物事象に関心を持ってほしい。暇つぶしの手段に読書を加えてほしい。いろいろな人たちと話をしてほしい。日本から離れて日本を見てほしい。そして、ドラマチックな人生を歩んでほしい。私のつぶやきです。」

リモート授業で不満が鬱積している大学生諸君。我々の学生時代には寺山修司が『書を捨てよ、町へ出よう』と呼びかけてくれました。どこからか「マスクをせよ、町へ出よう」という声が聞こえてきませんか?待っていてもウサギは木の根につまづかない、のです。

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