続々 大学の講義って?

現在、リモート講義に失望している学生諸君は、多分、クラブ活動ができないことにも失望していることだろう。大学に進学する楽しみの一つがスポーツ系・文化系を問わず課外活動(クラブ活動)だということは、毎年の新入生歓迎週間やオリエンテーション期間のキャンパスの賑わいを見ればわかる。新歓コンパやお花見のチラシが吹雪のように舞い、応援団の殺人的とも言える大太鼓が響き渡る空間に立っていると、ああ同志社に入ったんだなぁ、という実感が全身から湧いてくる、そのような実体験がないままキャンパスライフ(!?)がスタートした新入生諸君にとっては、講義は何とかリモートで行われているものの、満たされない気持ちを抱えたまま秋を迎えようとしているに違いない。

つい先日までほとんど学生の姿を見なかった今出川キャンパスに、最近ようやく学生の姿がチラホラするようになった。図書館にもあかりが灯り、学生の出入りする姿を見かけるようになった。ボックスや練習場・会議室が集まっている新町別館あたりはどうなっているのかと気になりつつも、この酷暑とゲリラ豪雨、ちょっと歩いて行く気になれず、直射日光を避けて地下鉄と有終館を往復する毎日。したがって、同志社大学の正課外活動の現状を確認しないままこの文章を書いている。

学生諸君は、新型コロナウイルス感染症の収束や大学の方針の先が読めない鬱々とした毎日を送っていることと想像するが、実は、私が同志社に入った1969年の今頃、今出川キャンパスも新町キャンパスもバリケード封鎖が行われていて、単位の出る講義は姿を消してしまっていた。その前年に東大や日大から始まった東京の大学紛争は日本全国に飛び火し、京都でも、京大・同志社・立命館の紛争は熾烈を極め、我々新入生には先は全く読めなかった。実は、日本の大学紛争は1968年3月に始まったパリ大学の学生運動の影響を強く受けていたから、日本固有の運動ではなかった。『いちご白書』を見ればアメリカのこの当時のことがよく理解できる。

実は、同志社の1969年度の学年暦の始まりは穏やかだった。入学式もオリエンテーションも前期の講義も行われるなかで学生大会や学生集会が繰り返され、学館ホール(今の寒梅館ホール)を埋め尽くした学生の怒号や拍手の嵐の中で単発のバリケードストライキを可決しつつ、6月頃から各学部自治会による教授会との大衆団交が神学館前で繰り返され、最終的に「無期限」全学バリケードストライキに突入したのだった。その後半年余り、機動隊が封鎖を解除するまで正規の講義はキャンパスから姿を消すこととなった。新型コロナウイルス感染症のように社会全体の人の交流をストップさせる外的要因ではなく、学生自身の判断によって講義をなくしてしまったのである。

講義はなくなったものの、私の所属していた学術団会計学研究会の活動は御所の休憩所や寺町通のお寺で行われた。祇園祭の当日、商工会議所の会議室で日商簿記2級の勉強をしていたことを覚えているし、夏合宿も本栖湖畔の国民宿舎できっちり行われた。私は会計学・監査論の研究者になったが、ゼミは財務論(株式会社金融論)だったので、会計学の勉強は会計研で先輩や後輩との議論の中で蓄積されたとい言える。さらに、先輩・後輩との間で幅広い人間関係が作れたし、先輩からは会計学・監査論の研究者になる道筋が開けるれほどレベルの高い刺激を受けた。結婚相手とも巡り合えたのである。要するに、私の人生の重要な部分が課外活動(クラブ活動)によって形作られたことは間違いないと言えよう。「無期限」全学バリケードストライキの不利益を克服してお釣りがもらえたのである。

会計研のOB会報(エトワール)に書いた私の駄文や関係者の寄稿を読んでいただければ、当時のクラブ活動の雰囲気の一端を垣間見ていただけるのではないかと思う。そのうえで、今の学生諸君に取りうる手段を考えてみたい。

エトワール85号

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