続 大学の講義って?
9月に入ると、学会シーズンに入る。8月31日から今月2日にかけては日本監査研究学会の全国大会が開催され、3日〜6日は日本会計研究学会の全国大会が開催されている。昔はこのように集中していなかったのだが、気がつけば9月が学会の集中月になっていた。「学会はどうして9月に集中開催されるの?」という質問に「夏休みだからー」と答えれば「チコちゃんに叱られる」風のやりとり。では、どうして学会は夏休みに開催されるのだろう。それは、開講期間中に学会が開催されると、学会に出席して講義を休講にした教授は補講をしなければならなくなるから。それなら補講をすればいいということになるが、文科省は春学期・秋学期それぞれ15週ずつ講義をするように言ってきているので、現実には補講をする余裕がないのだ。
私の学生時代は、2学期制ではなく通年講義で23回程度の講義が行われていた。前期の最初と最後は休講、後期の最初と最後も休講、年明けの講義も休講、そして、途中に教授の学会出席で2〜3回休講、となると、通年講義で14〜5回の講義が行われていたことになる。ざっくり言って、今の半分の講義しか行われていなかったのである。しかし、学生は「講義の回数が少なすぎる!」と文句を言うことはなかった。
それはなぜか。我々は、大学で何かを教えてもらおうとは思っていなかったのだ。講義に出ることはあっても、講義で何かを教えてもらうという気持ちは持っていなかったし、講義で全てのことが理解できるとは思っていなかった。講義に出るのはあくまでも教授の話を聞くためであって、高校までのように科目の内容をわかりやすく講義で教えてもらおうとは思っていなかった。そもそも大学の講義は難しいものなのだ。それを理解するためには、何冊もの専門書を読まなければならないことを、我々は了解していた。だから、大学生になってまずしたことは、自分の部屋の本棚に専門書を並べることだった。読むかどうかは別として、難しそうな哲学書や歴史書を手許におくことが大学生としての第一歩だった。大学生の本分は、本を読むことだったのだ。
そして、仕入れた知識を懐に入れて、四条河原町あたりのアストリアや田園といった「洋酒喫茶」のカウンターに座って、ジンライムやカカオフィズなどを飲みながら議論に花を咲かせたのである。ここで、「いい講義」の話が出ると「どれどれ」と言って試しに出てみることはあった。しかし、翌週はその評価をめぐって、再び洋酒喫茶で議論!半世紀前の大学生にとって、講義というのはそのような扱いだったのだ。
今、リモート講義に失望している大学生諸君。講義は講義として、本を読むことの大切さを再評価してほしい。たっぷり時間はあるのだから、本を読もう。そして、考えよう。その上で、教授に議論を挑もう!大学生なのだから。