余一会 能・狂言
8月16日に觀世会館で井上定期能を観賞したことを書いた。実は、23日にも観世会館に行った。京都観世会の8月例会の切符をオカダくんからもらったうえに抽選にも当たったのだ。観世会館では密を避けるために座席を一つおきにしているため、このところチケットを持っていても抽選に当たらないと入れない。。今回外れたら来月また申し込むことになるのだが、今月はオカダくんのお師匠さんの吉浪壽晃さんが出ているので、是非とも行きたかったのだ。おまけに狂言が茂山忠三郎、とくれば、ま、南座で松本白鸚の弁慶を期待する気分。
指定された時刻に会館に行き、検温・消毒のうえ入るが、一階の正面は特別会員の指定席になっているのでそれ以外から選ぶとなると、特に二人連れだとかなり席が限られる。我々は橋がかりのそばに席を得て、開演を待った。いつも正面指定席はけっこう空いているので、今日もそうなるのではないかと思っていたら、案の定ガラガラ。
吉浪さんの「女郎花」は、先週の女性を演じるのとは違って、前半の老人と後半の小野頼風それぞれの気持ちを表す声が素晴らしかった。終わった後、会館の外で吉浪さんご本人の帰られるところに出会してオカダくんが挨拶をしたが、この小ぶりの体のどこからあの美声が響き渡るのかと、改めて関心。
忠三郎さんの「悪坊」も出色だった。実は、忠三郎さんのお父さんは、40年ほど前には千五郎・千之丞・忠三郎トリオで数々の「爆笑満堂」の舞台を演じ、我々を大いに楽しませてくれた。商学部におられた英語の宮井敏教授によれば「尼さんを還俗させた」ほどの男ぶりがお父さんなので、酔っぱらいの悪僧を演じる忠三郎さんの全身からはエネルギーが溢れていた。
しかし、今回の「女郎花」と「悪坊」は、ストーリーそのものが時宜にかなっていた。「女郎花」の筋書きを一言で言えば、九州の僧が石清水八幡宮に参詣すると女と男の亡霊が現れて、はかない人生を悔やむのを弔ってやると成仏する・・・というお能ではよくある話の類い。しかし、「女郎花」はちょっと違っていて、契りを結んだ男の不実を恨んで皮に身を投げた女の一途さに心を打たれた男も後を追ったという、単なる不倫話ではない純情さがテーマになっていて、政治家・官僚・芸能人の不倫「報道」が相次ぐ昨今の状況下では一服の清涼剤の如く爽やかだった。「悪坊」の質(たち)の悪い坊主も、しこたま酒を飲んで旅の坊主に絡んだ挙句に寝入ってしまい目を覚まして身ぐるみ剥がれたことに気がついた際の後の一言が悪態ではなく、「仏の戒めだろう」と反省して托鉢に出かける姿は、予想に反して実に爽やかだった。
やったもん勝ちのご時世、中世の日本人の心持ちに清々しさを感じた。