8月15日

ま、別に聞かなくてもいいのだけれど、折に触れて講義の受講生に質問をしてきた。例えば「山陽特殊鋼事件を知っているか?」とか「東芝事件を知っているか?」といった風に、監査論の講義と関係のある粉飾決算事件を知っているかどうかを聞くことは、その日の講義を始めるのに重要だった。その質問の一つに「第二次世界大戦が終わった日はいつ?」というのがある。日本の公認会計士監査制度は第二次世界大戦後のGHQによる占領政策が大きく関わっているので、戦前と戦後を分けるこの日について話すことは私の講義にとっては重要なことなのだ。

当然、誰でも答えられる年が続いた。ところが、ある頃から答えられない学生・大学院生が出始めた。もちろん、全員がどうかというレベルの話ではなく、知らない学生・院生が出始めたということである。似たような話に、「産業革命はいつ、どの国で起こった?」という質問もある。私の講義にとって、産業革命は株式会社の出現につながり、株式会社の出現は会計士監査の出現につながる重要なターニングポイントなので非常に重要なのだ。1990年代に非常勤講師をしていたある大学で、この質問に答えられない学生を前にして、その日の講義が続けられなくなったことを鮮明に思い出す。産業革命を知らない大学生にどのように話をし始めればいいのか、本当に戸惑ったなだ。ちょうど「分数の計算ができない大学生」についてマスコミが騒ぎ始めた頃ではなかっただろうか。

それよりも深刻な終戦記念日についての質問。これに答えられない学生・院生が出始めたのがこれがいつだったのか、はっきり覚えていない。「8月15日です」と答えるのがあまりにも当たり前なので、答えられない学生・院生がいても「これは例外」だと思いたかったのかもしれない。今では「習っていません」と答えるのが知らない場合の言い訳になっているが、これがまさしくそうで、逆に「先生は第一次世界大戦の終わった日を知っていますか?」と切り返す学生・院生にも出くわすようになった。(今日、「学生・院生」としつこく並べているのには訳がある。学生は「大学のユニバーサル化」以降ものを知らない学生の増加に呆れつつも慣れてきたが、大学院生がそれ相応の予備知識・基礎知識を持たずに進学してきていることを知った驚き・失望は耐えがたいレベルなのだ。ものを知らない大学院生に講義をすることほど辛いことはない。ましてや「習っていません」と屈託のない顔で言われると、質問することが間違っているような気にさせられてしまう。

車を運転しながら終戦の日の追悼式の様子をNHKのラジオで聴きながら、去年までのことを思い出した。運転をしていた車の行き先については、明朝書くことにする。今日は「異文化体験」はおやすみ。