大学の講義って?
なかなか長続きしなかったスポーツジム通いがほぼ日課になったのは、併設されている天然温泉が気に入ったから。今日も今日とて露天風呂に入ったら、3人連れの若者が大きな声で喋っている。同志社の女の子がどうのこうのというので、聞き耳を立てていたら、私の横に座っていた一人が、私の方を向いて「百合野先生ですよね」と話しかけてきた。「監査論と会計情報による多様な判断、単位をもらいました」と言うので、面白かったかどうか聞いたところ、「会計情報による多様な判断は、がんこの会長さんやJR東海の元社長さんのお話が面白かった」とのこと。私の監査論はそれほどでもなかったらしい。
私は自分のキャリアの中で出席を強要したことがない。興味がないのに出席して私語や化粧で話の腰を折られることは、講義を聞きたい人にとっては邪魔以外何者でもないので、最初の講義で出席しなくても成績上不利はない旨約束をしてきた。2回目から出席者が激減して内心がっかりしたことも少なくない。
本心は、『私が聴いた名講義』(南伸坊監修、一期出版、1991年)に3人の人が触れているに戸田六三郎早稲田大学教授のような講義がしたかった。「当時、大隈講堂を使って講義をしていたのは、知っている限りでは『にえろくさん』だけだった。演壇に現れるのは決まって30分遅れの午後1時。学生たちの拍手に片手をちょっと上げて応えながら席に着く。」なんと素晴らしい教室の空気ではないか。1970年台中頃までの話である。
また、「『阿保な学生教えるにゃ、酔っ払わなくちゃ、やっていけんのよ』と言い、『あんまり阿保なこと聞かれたから帰ろ』と授業の途中で帰っちゃったのである」という老教授を許容するのは、学生が十分に成熟していたからであろう。今なら教務課の職員はクレーム対応に追われ、授業料を返せ!という投書が学長のもとに届くかもしれない。教科書は300ページを超える大部だったそうだが、名講義はこの本を読むためのエナジードリンクだったのだろう。
私も、昔は、イギリス式お風呂の入り方やロンドンの大規模書店の酔っぱらい店員の専門的能力の高さ、などについて話をし、学生諸君もそんな類の話をせがんだものだった。いつ頃からか「わかりやすく教えてください」とアンケートに書く学生が増えて、余談を歓迎する雰囲気は教室から消えていった。
浪人生の熱気が充満した関西文理学院(予備校)の教室で聴いた、増野正衛(英語)、濱千代清(古典)、門脇禎二(日本史)各先生の講義は面白かったなぁ・・・。