9月入学の議論
どうやら「9月入学」の議論は身を結ばないよう。安倍首相の「前広に議論」も、今では彼の権威の失墜の象徴のように言われる有り様。確かに、新型コロナが収束しないのに「桜咲いたら一年生」という歌詞に手をつけるのは不届きな気がしないわけではない。しかし、小学校と大学とでは、話が違う。
私は、大学の9月始まりには大いに賛成する。というのは、ずいぶん前から、文科省は大学に対して国際化のかけ声のもとに9月入学を意識した2学期制を具体的に実行するよう「指導」してきているものの、実際には入学時期が4月から9月に移行したわけではないので、手間のかかる非常に中途半端な制度になっているという実態がある。したがって、この混乱のもと、入学時期を4月から9月に移行させることは「実を取る」絶好機のように思えるのだ。
その一番の利点は、入試が2〜3月から7〜8月に移行することによって、日本の大学の夏休みが国際標準と一致することである。今は、入試期間の2〜3月に長期の春休みを設定しているので、長い夏休みをとることができず、夏の短期留学が実質t歴に不可能になってしまっているし、留学生の増加も実現していないのだ。9月入学の2学期制は窮屈な学年歴を余裕のあるものとすることができる。15週の講義の後に今は実質的に不可能となっている補講をすることが可能になるし、14周目や15周目に定期試験を実施しなければならないとう「ちょっとインチキな」スケジュールともおさらばできるのだ。
昔、漱石の『三四郎』を読んだときに、明治時代の大学が秋入学だったことを知り、どうしてそれを変えてしまったのか不思議に思ったことがあるが、どうやら徴兵猶予との関係で4月入学に移行したらしい。徴兵制度は無くなったのだから、もとに戻せばいいではないか。全国の大学が長年にわたって形式的な秋の卒業式・入学式を実施してきている馬鹿馬鹿しさともおさらばできる。
大学には9月入学に移行する準備ができているのに、どうして文科省は「大学の9月入学」について具体的に発言しないのだろうか。これまで文科省が大学の2学期制を推進してきたのは、9月入学を理想としたからではなく、ただ単に誰か一人の官僚の思いつきを実行しただけであって、マスタープランがあったわけではなかったのだろうか?もしもそうだとしたら、大学にとっても日本の高等教育制度にとっても「実に迷惑なこと」である。
小学校から高等学校まではゆっくり議論するとして、大学だけは来年度から9月入学に移行しようではないか。