初ハローワーク

昨日、生まれて初めてハローワークに行った。同志社から送られてきた「雇用保険の離職票等」に同封されていた『離職されたみなさまへ』を読むと、どうやら私にもハローワークに登録する資格はありそう。どっちみち毎日が日曜日なので、昔の「公共職業安定所」に行ってみることにした。

受付の女性は、大変親切だった。記入済の書類をチェックして待合室に行くように「優しく」指示。(普段は意識しないが、私は70歳なんだ!)ところが、この待合室は今一番リスクの高い「三密」のお手本のような空間で、しかもマスクをしていないのは私一人。しまった、と思った瞬間、普段は出ない咳がこみ上げてきた。クラシックのコンサートで楽章が終わるごとにみんなが咳をする、あの感じ。静かに待合室を出て、階段の踊り場で順番を待つことにした。

2時間ほどたって名前を呼ばれた。面談してくれた男性職員は、大変親切だった。「社外取締役をしていても兼職できるなら登録できますよ」とてきぱきと処理。書類をチェックして、下のフロアで職業相談をしてくださいと言われ、受付で並んでいると「先生、ここで何をされているのですか?」と私を見つめている一人の女性。ゼミ21期生のOGだった。マスクで顔の下半分は隠れていたが、目が「まさか失業?!」と言っていた。先月末に定年退職したことを説明したら、ほっとした様子で近況を報告してくれた。

職業相談をしてくれた男性職員は、大変親切だった。書類をチェックしながら「最初に就職したのと同じところで44年間ずっと働けて幸せですね」と言われて、室町小学校3年時に親友になった濱田くんが最初のブログに反応して「日記は中学の頃から書いて(書かされて?)いたでしょう」と書き込んでくれたことを思い出した。そう、中学時代に毎日通っていた英語塾の先生の指示で日記と漢字練習帳を毎日提出させられていたのだ。本来の目的の英語の勉強に関しては、当時の京都市内の中学校で使っていたテキストを3種類同時並行的に勉強したので、予習をするのは大変だったけれど、そのおかげで彼も私も英語が得意になった。彼は商社に入って海外駐在生活を大いに楽しんだし、私は横文字の本や論文をそれほど苦労しないで読むことができた。44年間大学の教員を続けられた原点はここにあるのかもしれない。

2週間後の予約を入れてハローワークをあとにした時、この英語塾の先生から英語以外に大事なことを教わったことを思い出した。詳しくは次回のブログで(毎月少なくとも「1のつく日」に書くことを決意!)。それにしても、今日応対してくれた3人とも本当に大変親切だった。