英語の勉強と香山凡夫先生

前回の最後に「この英語塾の先生から英語以外に大事なことを教わったことを思い出した。詳しくは次回のブログで」と予告したが、それを書く前に、私が当時どのように英語を勉強したかについて補足しておこう。教科書によってbe動詞から始まるものもあればhave動詞から始まるものもあったので、正直言って毎日3冊の教科書を予習するのは大変だった。しかし、中学生になって英語を勉強するということは「小学生ではなくなった=少し大人になった」気分を味わわせてくれたのだ。銭湯だって「中人」ではなく「大人」料金を払うようになったではないか。小さな文字で読みづらい『コンサイス英和辞典』をひきながら万年筆でノートに和訳し単語帳にも書き込むことは、決して苦痛ではなくちょっと嬉しい気分にしてくれた。

最近の大学生諸君に「語学嫌い」が増えているのは、この嬉しい気分を経験したことがないからではないかと想像している。英語の勉強は英語を通して外国を知ることにつながり、知的好奇心を際限なく広げてくれるのに、その入り口で怖気付いてしまうのは実にもったいない。英語は受験に必要な科目かもしれないが、大学に入ったら要らなくなる科目ではない。大学での勉強・研究に必須のツールなのである。早く気づいて欲しいと切に思っている。

さて、香山先生が私の生き方に大きな影響を与えた一言は「人間はこの世で何かをするために生まれ、この世ですることがなくなれば天に召される」であった。私は、「することをしてしまったら死ぬ、のであれば、することを残しておいた方がいい」と理解した。先生は前半部分を強調したかったのかもしれないが、私はむしろ後半部分に目をつけて「明日できることは明日に回そう」と思ったのである。実はその10年前に私の潜在意識に埋め込まれたもう一つの「人生観」があった。それは、寺之内幼稚園の末吉園長先生が5歳児の私におっしゃった「人の寿命の長さは仏様の前のローソクの長さで決まっている」という一言だった。

これら二つの教えにより、私の人生は神様と仏様の御心のままにゆるゆるとしたペースで流れることとなった。最初の単著を出版したのは50歳、教授になったのも50歳、次の単著で監査学会賞を受賞したのが68歳、博士の学位を取得したのは69歳、と、超スローな人生。しかし、ま、定年退職前にはなんとか辻褄が合うこととなり、めでたしめでたし。(いやいや、まだノーベル賞を目指す人生が・・・)

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