10.21国際反戦デー

ブログを更新しなくなってずいぶん時間が経ってしまった。正直言うと、ここに書き込んでもほとんど反応がないので何となく虚しい気持ちになったのが主な理由だったのだが、今日が10月21日だと気がついたので再開することにした。ガザとイスラエル、ウクライナとロシアの戦争状態を見ながら再開しようと思ったのだ。

10月21日は私の大学生時代には「国際反戦デー」と呼ばれた重要な日だった。この日にはあらかじめ学生大会でバリスト(バリケードストライキ)が決議されて全学の講義が休講となり、キャンパスには「インターナショナル」の大合唱がこだまし、今出川通と烏丸通を埋め尽くしたフランスデモの学生たちが市電をストップさせた。御所に待機していた機動隊が催涙弾を発射すると同志社大学の今出川と新町の両キャンパス近辺は緊張感に溢れたのだ。

ところが、再開にあたって「10.21」のルーツを調べてみたところ意外な事実を初めて知ったのだ。

実は「国際反戦デー」というからには何か国際的な記念すべきなの日だと私は思い込んでいた。しかし何とこの日は日本にルーツがあったのだ。Wikiによれば「日本記念日の1つ。1966年に始まり、毎年10月21日。「国際」と呼ばれるが日本だけの記念日である[1]。」とのこと。この記述には、正直、驚いた。さらに「1966年10月21日に日本労働組合総評議会(総評)が「ベトナム反戦統一スト」を実施し、それと同時に全世界の反戦運動団体にもベトナム戦争反対を呼びかけたことに由来する[2]ジャン・ポール・サルトルが「世界の労働組合で初めてのベトナム反戦スト」と総評を讃えた[3]。」と書かれているではないか。

しかし、その後Wikiが続ける「1967年10月21日には、アメリカワシントンD.C.で10万人を超えるベトナム戦争反対デモ(「ペンタゴン大行進」)がおこなわれ、日本や西ヨーロッパでも同様な示威活動が展開された。」となると、私が同志社大学だった時代に経験したことやフォレスト・ガンプの重要な場面を思い出す。

しかしWikiがさらに続けるように「1968年には、新左翼による新宿騒乱などが発生した。翌1969年にも10.21国際反戦デー闘争新宿などで発生した。ベトナム戦争、安保闘争東西冷戦などの終結後も、一部の反戦運動左翼団体などにより各種の集会が毎年開催されている。」となると、まさに筒井康隆が『90年安保の全学連』(1969)に描いたように、日本社会は冷めきってしまったのが現実だった。

短期的でしかも国際的な動きではなかったかもしれないが、しかし、ジャニーズの社名変更や毎度おなじみのお笑い番組に現を抜かす現状よりも、社会に目を向けた動きがあったことは重要なのではないだろうか。

しかも、10月21日は1943年に明治神宮外苑で学徒出陣走行会が行われた日でもあったのだ。

 

 

10.21国際反戦デー” に対して2件のコメントがあります。

  1. 綿貫吉直 より:

    約2年前『企業会計(5月号)』の先生の読書案内を拝見したことをきっかけにブログに行きつき、勢いあまって問合せフォームからも連絡させていただいた者です。

    更新が滞った当初は、お身体になにかあったのか、心配しました。
    お元気そうでよかったです。

    今後の更新を楽しみにしています。

    なお、その流れで2年前に購入した先生の『会計監査本質論』を長きにわたり積読しておりましたが、ちょうど先日読み始めたところでした。 

    1. myurino より:

      コメントを頂き有難うございました。
      講義の代わりにブログで発信しようと思って始めたのですが、講義の場合には受講生の反応を見ながら進めることができるのに対して、ブログの場合には反応がないので、次第に虚しくなり、ま、仕切り直そうと思っているうちに、更新しないのが普通になってしまいました。
      すると、顔を合わせる複数の方々から「ブログまだ再開しないんですか?」という声を聞くようになり、小言幸兵衛でいいや、と再開した次第です。
      卒業生からも「祝再開」のメールが届いていますので、気楽に描き続けたいと思います。
      今後ともよろしく。
      なお、拙著は『会計監査本質論』も『日本の会計士監査』も類書はありませんので、どうぞじっくり読んでいただければ幸いです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です