プーチンのウクライナ侵攻 1
私のピロリ菌をやっつける「動詞」として普段は使わない「殲滅する」を使ったのには、それなりの意味があった。われわれ今から半世紀前の大学生は「世界同時革命」の幻想の中にいたので(あるいは「いると思っていた」ので)、皆殺しにするという意味を持っている「殲滅」という言葉を使うことに、それほどの抵抗感はなかった。
しかし、今や天下泰平の世の中、「殲滅する」という言葉を使うと目につくこととなるのだろう。このブログのタイトル程度でも、気づく人は気づくものらしく、ピロリ菌ごときでどうしてこんな言葉をつかうのかと指摘された。
実は、この指摘は的を射ていたのだ。この日、私はピロリ菌について書くつもりなどさらさらなく、本当のところはプーチンのウクライナ侵攻について書きたかったのだ。が、このプーチンの軍事行動には、してやられた。油断していた。まさかこの令和の御世に、本当にウクライナに侵攻するとは思っていなかったのだ。自分自身の鈍さ加減には呆れるとともに、腹が立った。
振り返れば1991年。1月17日だったか、当時イギリスに留学していた私は夜中のTVでその日のフットボールの録画番組を見ていたのだが、突然画面が切り替わって、CNNのバグダッドからの空襲の中継が始まったのだった。飛び込んできた高射砲のシーンは、「やっぱり来たか」というどことなく納得感を伴うものだった。
それは次のような積み重ねがあったから。イギリスに留学していた私にとって、サダム・フセイン対アライアンス(連合軍)の戦争は必ず始まるという緊張感は日増しに高まっていったまさに「実感」であって、高射砲の閃光はその延長線上にあったのだ。その何週間も前から、ロンドンに出れば各所で空襲に備える準備が行われていたし、テレビのコメンテータの言葉からは「サダムフセインは悪いやつ!」という既成事実が形成されていたのだ。だから、この日のTV画面に映し出されているバグダッドの光景に違和感はなかった。
しかし、電話で話した日本の雰囲気はそうではなかった。「戦争なんて始まらないよ」「直前に回避されるよ」という楽観的な見方が大勢だったのだ。しかし始まった。
このブログを書く前に読んだ3日付の『デジタルフライデー』は「『寸止め回避』が大方の見方だった」と記事を書き始めていた。いつまでマスコミは能天気な業界常識にとらわれているつもりなのか、と、ほとほと呆れた。