「見えない税金」に怒れ

今日のタイトルは、かつてゼミで議論したテーマ。大前研一氏が『文藝春秋』に寄稿したこのタイトルの論文を読んで、みんなで話し合ったのだ。いつのことかというと、国立国会図書館のHPで検索したところ、もう35年も前になる。1987年4月号の94ページ~109ページに掲載されていたということがわかった。(便利だなぁ。)『文藝春秋』のこの号は、実は、ついこの間まで書斎の片隅にあったのだが、どうやら一連の断捨離プロセスで処分したようだ。

どうしてこんなに古い話を今ごろ持ち出したのかというと、NHKのニュースで「今年度の『国民負担率』が48%に達し、前年度を上回って過去最大になる見込み」だと報じたのを聞き、「うわ!ついに五公五民になった!」と思った時に、大前研一氏のこの論文のことも思い出したのだ。

大前研一氏は、サラリーマンは税金を天引きされているので痛税感がないが、社会保険料などは税金とは見做されていないものの、税金と同じもの、これがどんどん膨らんで我々の可処分所得を圧迫しているのを見逃してはいけない、という内容をわかりやすく論じたのだ。しかし、時はバブルの真っ只中。今振り返ると、大前氏の指摘は的を射たものだったにもかかわらず、当時の日本人はまともに取り合わなかったのではないかと思う。私は、大前氏の主張の論点についてゼミ生諸君と議論したのだった。(ただし、この雑誌は手許にないので、微かな記憶を頼りに書いている)

90年にバブルが弾け、「失われた10年」が「失われた20年」になり、さらに「失われ続けた30年」となってしまった。気がつけば、この間「見えない税金」は膨らみ続けて、ついに「五公五民」に達したというわけ。そして、日本人は見えない税金に怒らないまま、静かに今日を迎えている。

同時に、物価の上昇がじわじわ顕在化してきた。日銀はインフレターゲットなる妙な目標を掲げたまま軌道修正していないが、所得が増えないままコストプッシュ・インフレが起これば国民はどのような悲惨な状況に置かれるか、半世紀前に大学で学んだ私たちの世代は「スタグフレーション」という流行語を通して十分に理解していた。

アベノミクスの大失敗と日銀の超大失敗は、多方面にわたる公的記録の隠蔽・改竄・破棄と統計数字の積年のデータ改竄等により、日本人の目をごまかし続けた。そして、「本当の姿」が見えていない日本人は「見えない税金」に怒らないまま、ついに今日を迎えたのだ。しかし、その「五公五民」だって本当かどうかわからない。データが改竄されていないという保証はない。ひょっとしたら「六公四民」あるいは「七公三民」になってしまっているのかもしれない。高福祉国なら、それも我慢できるかもしれない。しかし、この国は、自助の国、福祉崩壊の国。日本人は怒らないまま耐え忍び続けるのだろうか。