社会と監査 第11回 監査が自発的に行われることの重要性

受講生諸君も同じではないかと思いますが、2回続けて休講したので、緊張感が薄れてしまいました。その原因は、本来この「社会と監査」という講義が問題にしなければならない「公的部門の説明責任の検証」の重要性を踏みにじる出来事が次から次へと起こっているため、虚しさに打ちひしがれているためです。(ちょっとオーバーか)

選挙に勝ったからといって国民の税金を自分たちの好き勝手に使ったり配分したりする権限を全面的に委任しているわけではありません。10万円の給付・・・これはもともとなんのための給付だったのか、今となってはすっかり忘れ去られてしまっている感がありますが、これを現金5万円とクーポン5万円に分ける理由について、首相は説明しません。

クーポンには1000億円近いコストがかかることが明らかになり、そのコストで100万人に給付できるから貧困大学生に給付すべきだという意見が出ても、聞く耳を持ちません。公明党の党首も同様でした。

ところが昨日のNHKの政治討論会で西村康稔氏が10万円でいいと言い切ったために状況は大きく変わりました。「クーポンを原則とする」と言い続けていた首相の面目は丸潰れ、「決めきれない人/修正主義者」といったレッテルがまた背広の背中に貼られることになりました。昨日の西村氏の発言について、今朝のテレビでは「安倍派の嫌がらせ」と言う人がいましたが、そんなレベルなんですね。

今日は、それがどのような理由によるものか考えてみましょう。

「監査論」という学問は極めて実務的なものだと思われがちですが、数は少ないけれども「理論」を扱った著作も存在しています。私の『日本の会計士監査』と『会計監査本質論』は両方とも理論を扱っていますが、主として歴史的考察と制度比較で理論的考察をしています。ここでは経済学の「エージェンシー理論」を使って説明します。

主題は「監査が自発的に行われることが重要だ」ということです。

次のスライドが示しているように、プリンシパルとエージェントの間の契約関係において、プリンシパルとエージェントがともに経済人だと仮定すると、ともに利益を最大化しようとするときに、監査(モニタリング)が行われないとすると、エージェントはプリンシパルの利益を最大化するように行動するとは限りません。

次のスライドが示しているように、エージェント自身の利益が最大になるように行動すると想定されます。会社の場合だと、株主の配当に回すべき資金を豪華な社長室を作ったり高級車を専用車として購入することに無駄遣いしたり、様々な役得を得ることによって満足したりするわけです。慈善活動は、一般的にいいことだと思われがちですが、社長がポケットマネーを使うのではなく会社のお金を使って事前活動をすれば、これも株主の配当を減額してしまうことになります。

その実例を次のスライドが示しています。

プリンシパルはエージェントが無駄遣いすることを想定して経営者報酬を設定することができるので、エージェントは自分は無駄遣いをしないことを証明して、経営者報酬の減額を避けようとします。次の2枚のスライドがそれを示しています。

その際、財務諸表をディスクロージャーすれば良いというわけではありません。なぜなら、財務諸表は経営者が作成するので、監査を受けることが必要になります。そのため、監査を受けたいという誘因は経営者の側にあるということになります。

そして、このエージェンシー関係が成立するのは株主と経営者の間だけではありません。次のスライドが示しているように、いろいろな関係があります。この関係で、プリンシパルが能動的立場をとることが大切なのです。

とりわけ日本では、納税者意識を持つことと選挙権の重要性を認識することが必要であり、それがないから税金の無駄遣いを見過ごしてしまうことになるのでしょう。

そういう意識を持って国会中継を見ましょう。