博多・天神落語まつり 其の1

今月の3日から6日にかけて「博多・天神落語まつり」を見に(聞きに?)行った。今日から4回にわたってその感想を書こうと思う。実は、毎月給料を貰って生活していたという点で私は間違いなくサラリーマンだったのだが、大学教員には勤務時間の概念がなく(特に同志社ではタイムレコーダーや出勤簿がない)、講義や会議・各種の試験等いちおう拘束される時間はあったものの、出勤を強制されることはなかったので、研究するための時間や学生の面倒を見る時間は完全に個々の教員任せ。論文を執筆したり学会発表の準備をするときには徹夜したことも珍しくないし、昔のように電話でゼミ生の相談相手になると大瀧詠一の「君は天然色」のように「受話器持つ手がしびれたね♪」ということになる。全般的に言って、学生生活の延長線上にあるこの生活を、私はとても気に入っていたのだ。

しかし、この完全フレックスタイムというのは、定時に出勤しなくてもいいという点では気楽なのだが、その反面「休暇を取る」という楽しみがない。「休暇はないかもしれないけれど、夏休みや春休みという長期休暇があるじゃないか」と言う声が聞こえてきそうだが、長期休暇は「研究と学会とゼミや会計研の合宿」であっという間に過ぎ去ってしまうのだ。会議や講義を休んで家族旅行に出ることなど、端から我々には考えられないことだった。

このような生活を半世紀近く続けてくると、定年退職した身であっても、書類の閲覧を主とする監事の仕事のために有終館に出社することなく3泊4日の落語三昧旅行に出かけるとなると、後ろめたさが若干つきまとう。しかも、私が陪席しなければならない法人の会議が4日の夕方に予定されていたのだ。しかし、コロナ禍で楽しむことができなくなって久しい東西の落語を聞けるという絶大なる魅力が後ろめたさに打ち勝ったというわけ。陪席する会議もリモート会議なので出席することは不可能ではない、ということで、いざ博多へ。

お昼ご飯を駅ビル9階のお寿司屋さんで楽しみ、川端駅近くのホテルにチェックインしたあと、17時に再び駅ビル9階へ。お寿司屋さんの隣に「JR九州ホール」があるのだ。(昼食とホテルについては改めて)

あまり期待しなかった割に面白かったのが冒頭の三遊亭わん丈。滋賀県出身とかで滋賀の自虐ネタ(知名度で佐賀と最下位を争っていたとか滋賀県には琵琶湖しかないとか、琵琶湖の部分を滋賀県と思っていない?浮島じゃないんだから・・・とか)をやったあと、北九州市立大学卒と言って結構な拍手をもらってからは自分のペースに巻き込んだ。「寄合酒」は端折った感じがあったが、無難にまとめてお後と交代。入門歴10年の二つ目にしては型ができているという印象を受けた。石山高校出身ということもあって、将来に期待したい。

二人目の桂米輝も入門10年目で、しかもプログラムによれば「2017年 第13階 上方落語若手噺家グランプリ 優勝」とのこと。期待しすぎたのか、「爆笑」と銘打った割には笑えなかった。中入り後の林家菊丸も同様。四代目林家染丸が師匠とのこと。私にとっての染丸はMBS「素人名人会」の審査員で福々しい愛嬌たっぷりの三代目に尽きるのであって、四代目は染丸というよりは芝居噺や人情噺が上手い染二さんなので、どうしてもっと色っぽくしっとりと語れないのか、と物足りなく思った。こんなにぞんざいに演じてはもったいない。

中入り前の立川志の輔は流石に手慣れたもの。ストーリーそのものは平凡で、オチも見当がつくのだが、語り口や間の取り方に余裕があって、噺家の落語を聞いているという気分に浸ることができた。NHK「ガッテン」のMCとしての準備の周到さについては聞いたことがあるのだが、本職の落語でもその丁寧さを感じることができた。話の内容としては、子供たち一人一人の発想の豊かさを伸ばす教育の大切さを改めて思い知らされたのは、職業柄だろうか。

トリは三遊亭圓歌。今日のお目当ては、実はこの人だった。ひと頃、私は古今亭寿輔と三遊亭歌之介の追っかけをしていたことがあったのだ。とくに寿輔は出囃子の「シャボン玉と〜んだ♪」が聞こえてきただけでおかしさが込み上げた。歌之介の話を最初に聞いた時は「これが落語か?」と半分呆れたが、それでもいつの間にか歌之介ワールドに引き込まれてしまっていた。圓歌を襲名することになったが、私にとっての圓歌は「山野アナアナ〜」や「(ダミ声で)広沢虎造」という先代の方なので、ちょっと違和感。しかし、襲名したせいか、今日は短い爆笑話を盲滅法打ちまくる、という感じではなく、子供の頃をしんみりと振り返った。その噺に「母のアンカ」という題名がついていたことは、今日、博多・天神落語まつりのHPで知った。(今日はここまで)