社会と監査 第7回 移入した社会制度を換骨奪胎

今日の講義のテーマは「移入した社会制度を換骨奪胎」となっていますが、このタイトルそのものは太平洋戦争敗戦後のGHQによる占領政策の一環として移入された「公認会計士による上場会社の財務諸表監査」のことを意味しています。去年の「百合野の監査論」で話したように、明治時代の末からその重要性を議論されていた「会計士監査」の必要性について、戦前の日本政府は一顧だにせずに「計理士」という「監査をしない会計の専門家(らしきもの)」を認めただけでお茶を濁しました。しかし、GHQが行なった民主化政策のうちの経済の民主化の仕組みの一つとして「公認会計士(CPA)」「証券取引法」「証券取引委員会(SEC)」を三本柱とする「上場会社のディスクロージャー」の制度が作られたわけですが、それから70年も経過すると、気がつけば日本のディスクロージャー制度はアメリカのディスクロージャー制度とは名前は同じでも中身がずいぶん異なったものになってしまいました。

日本の最初の証券取引委員会はGHQの占領が終わるとともにあっけなく廃止されてしまいました。その後、名前の似た「証券取引等監視委員会」が設置されましたが、これはアメリカのSECように独立した準司法機関ではないため、SECに匹敵する監視機関ではなくなってしまいました。そのことを隠すために、名前には「監視」という言葉が入っているのではないかと勘ぐりたくなります。

日本の制度は、下図に示したように、もともとイギリス発祥の会計士監査がアメリカに伝わったものです。しかし、イギリスからアメリカに伝わった時点で会計士監査の役割は異なったものとなりました。それがさらに日本に伝わると異なったものとなったわけです。

これらのスライドを一言で説明すると、それぞれの国にはそれぞれ固有の社会経済的コンテクストがあるので、それに応じた社会制度が確立されるということです。「じゃあ日本も同じだ」という意見があるかもしれませんね。日本の制度が作られたのは敗戦による占領政策というコンテクストがあったわけですから。

ここで忘れてならないことは、GHQの占領政策が経済の民主化によって日本国民を経済的に豊かにしようと企図されていたということです。そのため、GHQのディスクロージャー制度を換骨奪胎して戦前の制度に戻すことは、一部の山師だけしか市場に参加しない「怪しくて危険な株式取引所」という投機的市場に戻すことを意味しています。これは、日本国民の立場からは絶対に認めることのできない「逆戻り」を意味しています。私は安倍晋三が「戦後レジームからの脱却」と言うたびに「安倍晋三というのは案外正直だ。軍国主義に戻したいと公言している」と思ったものですが、友人の中には「たんに意味を理解しないで言っているだけじゃない?」と冷たく突き放す人もいました。

それはさておき、時間があれば話をしようと思いますが、アメリカの監査制度をエージェンシー理論に基づいて図示したウオレスの下図では、左側の「プリンシパル(株主)」と「一般投資家」と「一般消費者」が「社会全体」というキーワードでまとめられているところがミソとなっています。会計士監査は国民のための制度なのです。従って「証券取引等監視委員会」は国民を豊かにするために証券取引が公正に行われるよう監視業務を行わなければならないのです。

しかし、現実には次の報道のように、詐欺的な投資話は繰り返し被害者を生んでいるのです。「投資」後進国の日本では、もっともっとまともな投資の話をしなければなりませんし、監督官庁は金融詐欺を迅速に摘発しなければならないのです。

今日のニュースではもう一つ興味深い記事があったのですが、とりあえず新聞の見出しを示すにとどめておきます。今日の講義はここまで。