「説明責任」に対する甘利明の無神経さ
3日のNHK日曜討論会で甘利明自民党幹事長は、自分の疑惑について概ね次のように説明した。
1 私の地元の秘書が事業者から陳情を受けてURと接触をしていたことが「斡旋利得処罰罪に抵触するのではないか」という疑惑を受けたが、捜査の最終的な結論は、私も秘書も不起訴だった。
2 私は、秘書がURと接触していたことを知らず、まさに「寝耳に水」で事件を知った。
3 説明責任を果たすために、「特捜のOBの弁護士」さんに徹底的に調査してもらい、それをもとに辞任会見で質問が出尽くすまでお答えした。捜査以上の詳しい説明は不可能。
ここには、政治家が「身の潔白を説明する責任」を果たすための「3点セット」がいつものように揃っている。
三つ目の、説明責任を果たすために「特捜のOBの弁護士さんに徹底的に調査してもらう」という手法は、舛添要一元都知事の一件を皮切りに一頃は流行ったものの、例の小渕優子の疑惑をめぐってそのインチキ臭さは白日のもとに晒されたのではなかったか。2014年、小渕優子の関連政治団体をめぐる政治資金規正法違反事件で家宅捜索が行われた際、書類などを保存していたとみられるパソコンのHDがドリルで穴を開けて破壊されていたと報じられたことについて、第三者の専門家として調査にあたった「特捜のOBの弁護士」マムシの善三こと佐々木善三弁護士は「ドリルで破壊したことのどこが問題なのか」と開き直り、特捜を辞めたら正義感は失せるのかと、世の失笑を買ったものだった。
二つ目の「秘書が・・・」は安倍晋三も用いた古典的言い訳だが、「従業員の不祥事については関知しない」という言い訳は企業の場合には通用しない。最近も、三菱電機の会長が辞任したばかり。政治家には部下の管理責任は存在しないのか?
一つ目の言い訳を許さないためには検察に頑張ってもらうしかないが、三権が分立していない日本では望み薄の気配が濃厚。
そもそも、このような状況が生まれているのは日本の政治家が「説明責任」を理解していないからに尽きる。比較のために日本公認会計士協会のHPで説明されている「アカウンタビリティ」(説明責任)のスクリーンショットを下に示す。
このスクリーンショットの重大性を理解するためには、去年の『百合野の監査論』の1回目に「読んで欲しい」と書いた1990年から92年まで留学したイギリスでの日常生活で感じたことをまとめたエッセー『黄昏ではなく曇天のイギリスから』を読んで欲しいと思っている。