菅義偉訪米の怪

明日で9.11同時多発テロから20年。で、その日にたまたま会計学研究会の夏合宿に随行し、その夜の飲み会の直前、部屋のTVで生中継されていたツインタワーの炎上と、2機目の突入の瞬間を目の当たりにした経験を書こうかと思っていたら、なんともやりきれないニュースが耳に入った、なんと、菅義偉が今月下旬に米国を訪問する方向で検討しているというのだ。バイデン米国大統領と会談したり、国連総会に出席して演説するらしい。そこでも原稿を読むのか!?

間違いなく首相でなくなる立場の人がどうしてそのようなことをする「意味」があるというのだろう。朝日新聞によれば、「首相周辺は『このまま対外的に何も言わずに辞めるのは良くない。以前のように、日本は毎年トップが交代するような印象を与えないよう、もともと自分はピンチヒッターのつもりでやってきたんだ。次の人を頼むと説明してくるべきだ』と語った」とのことだが、日本は毎年トップが交代する国なのだから、改めて説明する必要があるのだろうか。全く必要ない!と私は思う。

菅義偉が自民党の総裁選挙に立候補しない理由が「当選する見込みがない」からではなく「コロナに専念するため」だとしたら、日本を留守にするのは良くないのではないか。国民の安心・安全が第一だと繰り返し言っているにもかかわらず渡米したのでは、コロナ対策に専念しているとはとても言えないだろう。また、間も無く首相でなくなることになっているとは言え、現職の首相が訪米するのであれば政府専用機が使われるだろう。そのコストはもったいなくないのか。もしもアメリカに行きたいのであれば、退任後にポケットマネーで行けばいい。はたして大統領が会ってくれるかどうかは保証の限りではないが、少なくとも国費の浪費でなければ我々の関知するところではない。お好きなように!と私は思う。

菅義偉の訪米は、思い返せば、トランプ大統領が誕生したことがよほど嬉しかった安倍晋三がトランプ大統領のもとに尻尾を振りつつ馳せ参じてゴルフ三昧に興じたことを彷彿させる。トランプ大統領の気にいるように国費をジャンジャン使う、ですって。国費って何?国のお金は国民の納めた税金に他ならないのではないのか。それを自分の判断でジャンジャン使う。そのような権限まで委任していると言えるのだろうか。

自民党政権はいつまでこのような政治を続けるつもりなのだろうか。「昭和元禄」時代なら、日本社会全体がボケていて、ま、政治の世界も経済社会もお伊勢さんの「ええじゃないか」状態で許されることだったかもしれない。(調べてみたら、「昭和元禄」は1964年に福田赳夫が言い出した言葉の由。平和ボケ、の皮肉も込められいたのだろう。)

しかし、今はコロナ禍から抜け出せずにもがいている状況、「昭和元禄」などと浮かれている余裕はない。「政治家」と呼ばれている人たちは、毎日どのような働きをしてコロナ禍脱却に献身しているのか、国民に十分な説明をする責任を課せられているのだ。菅義偉が国民に十分な説明をする責任を果たさないまま訪米をして首相ヅラをすることを許してはいけないであろう。