菅義偉は怖くなかった

30日に「菅義偉はやっぱり怖い・・・」というタイトルをつけたが、下村博文に総裁選に立候補することを思いとどまらせてから1週間も経たない間に、菅義偉は総裁選に出ないことを表明した。

確かにこの間の菅義偉の行動は奇妙だった。「自民党役員人事と内閣改造を行なって、衆議院を解散し、その後に総裁選挙を実施する」という筋立ては、誰が考えても菅義偉の保身しか考えていないことが明白だったので、さしもの自民党重鎮たちも認めるわけにはいかなかったのだろう。それにしても、私は、「ガースーです」と自己紹介したとニュースで聞いたときに「菅義偉は勘違いしたまま総理大臣になった」と呆れたけれど、まさかその1年後の自民党総裁選に立候補できなくなるとは思わなかった。しかし、おそらくかなり多数の自民党議員が祝杯をあげて、ひとまず安堵していることだろう。下馬評に挙がっている候補者の誰であれ、菅義偉の続投よりはマシだろうと思っていることだろうから。

しかし、菅義偉によって取り下げさせられた下村博文の立候補は反故にされることはないのか?、幹事長を辞任させられた二階俊博が一転居座り続けることはないのか?、まだ推薦人を集めきっていない立候補予定者たちは無事に20名の名前を揃えて立候補できるのか?、といった幾つもの「?」が頭に浮かぶが、それよりも明日改めて記者会見すると公言した菅義偉は本当に記者会見を開いて(いつものように原稿を棒読みするのではなく)記者からの質問に答えるのだろうか?あの佐藤栄作ですら新聞記者を退席させて無人となった記者会見場でTVカメラに向かって話をしたように、菅義偉は思いの丈を吐露するだろうか。

しかし、しかしである。こうなると、総選挙で自民党が大きく議席を減らすだろうという大方の予想は怪しくなった。日本人の投票行動は極めて情緒的なのだ。国会の総選挙とAKBの総選挙を同じレベルで捉えているのではないかと思えるほど。自分たちの日々の生活と将来の人生設計とが国政選挙と密接に結びついていると(ぼんやりでも)考えているとはとても思えない。

小泉郵政選挙にうつつを抜かしたツケが今の郵政事業の為体を招いたと考えている日本国民がどれだけいるだろうか。もしも私がまだ現職で講義を担当していたとしたら、これまでずっとそうしてきたように、講義でもゼミでも、毎週「どの党に投票してもいいから、選挙公報をよく読んで、必ず選挙に行きなさい」と繰り返すことだろう。(これまでずっとそう感じてきたように、半分は虚しい思いをしながら)