富士山噴火(?!)

私の部屋のカレンダーには、今日の欄に「富士山が噴火」という書き込みがあって(何か他人事のように書いているが、自分自身で書き込んだのだ)、緊張感に満ちた1日を過ごした。厳密に言えば、今日はまだ3時間ほど残しているので、富士山が噴火しなかったと断定できるわけではないものの、半ば白旗を掲げつつ、ブログを書いておかないと明日になってしまう。

私がカレンダーに書き込んだ「富士山噴火」の根拠は『ムー』7月号に掲載された「漫画家『たつき諒』が富士山噴火を警告!!」という記事。「東日本大震災を予言していた漫画『私が見た未来』を解釈する!!」という見出しにも惹かれて読んだところ、この日はどうしても記録しておかないと後で悔やむことになるのではないかと思った次第。

『ムー』を読んでいるんですか?と真顔で私に聞く人がいるかもしれないが、寝る前に寝室のテレビのチャンネルを合わせるとしたらCS「ヒストリーチャンネル」の「古代の宇宙人」が多い。どのシーズンの何回目を見ているのか、今見ている回は初見なのか以前見たことがあるのかを無視してこのチャンネルを選ぶのは、古代に地球を訪れた宇宙人が地球人に広範な知識を供与したのではないかという仮説が気に入っているからに他ならない。『少年少女空想科学小説全集』や小松左京・筒井康隆のSF小説を読んで育った世代としては、「どれだけ突拍子もないことでも起こりうる」と思いながら生きてきたというのが正直なところ。毎年テレビや新聞で予告される「❌❌流星群」がどれだけ視覚的に素晴らしいものだと言われても私が絶対に夜空を見上げて流星雨を見ないのは、若い頃にジョン・ウインダムの『トリフィドの日(トリフィド時代)」』を読んだから。流星雨を見上げるなどという極めて危険なことをするわけがない。

『日本沈没』を書いた小松左京が東北大震災のショックで鬱病になったのは、日本沈没が決して絵空事ではんかったからだと言われているが、小松左京やアーサー・C・クラークの小説が膨大なデータに基づいて書かれた綿密な「単なる空想ではない科学小説」だとしたら、それらを読んで育った我々の世代は、突拍子もないかもしれない「富士山噴火」を半信半疑よりは確実性の高いものと信じて1日を過ごしたとしても責められる筋合いはないであろう。

もっとも、今日一日何もしないでただただ「富士山の噴火の第一報」を待っていたわけではない。実は、午後を通してミヒャエル・エンデの『モモ』を読んでいたのだ。この本がNHKのある番組で紹介された際に、昔、子供たちに買った記憶はあったものの自分で読んだかどうかが不確かだったので、電子書籍を借り出して読んだのだ。(この手続きはなかなか興味深かった)『モモ』に関しては、NHKの番組ともども稿を改めて書きたい。

さて、あと2時間、富士山は噴火するだろうか?