終戦記念日

もう何年も前のこと。大学院の監査論の講義で「終戦記念日は何月何日か?」と質問したところ、受講生は誰一人として答えられなかった。「こんな大事な日を知らないのは恥ずかしい」と詰ったら、「じゃあ先生は第一次世界大戦の終わった日が何月何日か知っていますか?」と切り返された。正直言って、私は知らない。第一次世界大戦の終わった日がいつであっても、どうでもいいことなのだ。

しかし、日米戦争の終戦記念日は、どうでもいい日ではない。日本の公認会計士監査制度はGHQの占領政策の一環として制度化されたこともあって、日本の社会を戦前と戦後とに分けて考察することはとても重要なのだ。詳しくはこのブログの「百合野の監査論」を読み返していただきたいが、日本の社会を民主化するいくつかの政策のひとつとして「公認会計士による財務諸表監査制度」が創設された。そして、会計学の教科書にはほとんど書いてないが、この「公認会計士による財務諸表監査制度」の重要性は、実は、それ以外の様々な情報公開の重要性と密接に関連しているのだ。企業の財務内容を公開すること以上に、国や地方自治体の情報公開は重要なのだ。はっきり言っておこう、国や地方自治体の情報公開の延長線上に企業の財務内容の公開が位置しているのだ。

このような視点から戦前の日本社会を振り返ってみると、重要な事実が明らかとなる。明治維新の欧化政策で国や地方自治体の会計にも複式簿記が導入されたものの、まもなく「複式簿記は複雑で実務向きではない」という理由で単式簿記に置き換えられた。会計検査院は設置されたものの、会計士監査制度は政府の反対で立法化されなかった。教科書に載っている歴史的事実である。これらを教科書通りに受け入れてはいけないのだ。

「百合野の監査論」的視点からも角度を変えて詳しくみてみると、次のような解釈が成り立つ。複式簿記が単式簿記に置き換えられたのは政府と政商との間の表に出せない癒着・不正を隠すためであり、民間による独立監査を徹底的に嫌ったのも、隠したいことが明るみに出るのを嫌ったからに他ならないのだ。このことについて、私は『会計監査本質論』で触れておいたが、大学時代の会計研とゼミの2年後輩のヒサイくんも、全く別のルートの研究の成果として、このことに気づいたのだ。そして、定年退職後の第二の人生で始めた彼の研究は見事に博士号の取得に結びついたのだった。(おめでとう!)

終戦記念日の今日このようなことを書いているのは、終戦記念日を知らない若い人たちが増えてくると、ターニングポイントがないままに今の日本社会が存在していることになり、行末の不確実性が逃避級数的に増加するから。

私は最近とくに教科書で習った歴史の説明に強い違和感を感じている。この違和感は、昨日から今日にかけてCSで放映されている様々な終戦関連映画を「チョイ見」していてさらに強くなった。簡単に言うと、「終戦を機に日本社会は民主主義社会になった」という決まり文句は、日本国民にそのように思い込ませる「空念仏」ではないか、と思えて仕方がないのだ。そして、終戦記念日を知らない若い人たちが増えてくるとなると、この思い込まされるプロセスはどうでもいいことになり、彼らが目の前で見聞きすることだけで日本社会が存在することになってしまうのだ。これは由々しきことだろう。

今年も9月中旬(大学の秋学期開始にあわせて)に始める予定にしている講義「百合野の監査論」では、この論点について詳しく説明する予定にしている。

 

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