菅義偉が当然の如く宣言した「自宅療養」・・・の怪

菅義偉が「新型コロナウイルスの感染者は、重症患者などを除き、自宅療養を基本とする」という方針を述べたとき、私は我が耳を疑った。本当に聴き間違えたのではないかと思ったのだ。しかし、そうではなく、その翌日だったか、菅義偉は「全国一律の措置ではなく、東京など爆発的な感染拡大が生じている地域で必要な医療を受けられるようにするためのもの」と言って、「丁寧に説明して理解を得ていきたい」とも述べたと報道された。菅義偉も安倍晋三も「国民の安心安全が第一」と公言してきたが、東京など爆発的な感染拡大が生じている地域の国民は見捨てられることとなった。ついでに言えば、この「丁寧に説明して理解を得ていきたい」という常套句はしょっちゅう耳にしてきたが、すでに書いたように、安倍晋三も菅義偉も、一度たりとも「丁寧に説明して理解を得」ようとしたことはなかった。日本人というのはよくよくお人好しか、忘れっぽいか、水に流すのが好きか、いずれにせよ統治する側にとっては実に統治しやすい国民である。

中島岳志東京工業大学教授は、朝日新聞のインタビューで「『自宅療養』とは、一般的には症状が安定した時に病院から出て自宅でゆっくり静養する、という意味でしょう。今回は入院の選択肢が奪われており、自宅療養とは言えないはず。『入院できません』という一種のトリアージ(治療順位の選別)で、『入院拒否』とか『入院謝絶』、あるいは別の言い方をすべきです」と述べているが、まさにその通り。コロナ病棟のあの厳戒態勢でもクラスターが発生するというのに、自宅にいたら家族みんなに感染するのは自明の理。コロナで一家全滅した家やマンションから死臭が漂い始める、という想像だにしたくない悲惨な状況が今の日本で現実化しかねないのだ。

テレビでは、救急車が来てくれても運び込む病院が見つからないので自宅に戻されてそのまま死んでしまったとか、自宅に戻された後になんとか入院できたもののその次の日に死亡した、という場面が感染者とお医者さんの実際の映像・声つきで報じられている。しかし、安倍晋三も菅義偉もこのテレビを見ていないのだろうなぁ、と絶望するのは、いつの選挙開票日だったか、池上彰キャスターが安倍晋三に厳しい質問をしたら、テレビで生放送されているにもかかわらず、安倍晋三はイヤホンを外して知らぬ顔の半兵衛を決め込んだのだ。これを見て、私は、見たくない聴きたくないことを見ない聞かないのはなんという太々しい政治家だろう、と呆れ果てたが、どれだけの日本人がこのシーンを記憶していることだろう。日本人というのはよくよくお人好しか、忘れっぽいのか、水に流すのが好きか、再度繰り返すが、統治する側にとっては実に統治しやすい国民なのだ。

さらに、この自宅療養者は買い物に出られないので行政が食料品などを届けることになっているらしいが、何日待っても何も届かない事例が続出していると報じられるに至っては。コロナによる病死に加えて、餓死も視野に入ってきていると言わざるを得ない。

私は太平洋戦争に突入した当時の日本人の心情がどうしても理解できなかったのだが、最近、推測できるようになってきた。政治家にせよ軍人にせよ、ありうるシナリオを十分に熟議することなく、誰が先導するでもない安易な道を選択したのだろう。そして、昭和天皇に「下克上」と言わしめた意思決定システムが「一億玉砕」寸前まで軌道修正しなかったために、あの悲惨な沖縄玉砕、本土大空襲、ヒロシマ・ナガサキを経験させられることになってしまったのだろう。

しかし、戦争なら「降伏する」ことで打開できるが、コロナ禍は「降伏する」ことができないのだ。日本人は再び「一億玉砕」に舵を切るのだろうか?