「プロ」の仕事を見た

家内の実家の庭の木々が伸び放題になっていることがずっと気にかかっていた。叔母たちが元気なうちは、教え子の植木屋さんに見てもらっていたらしいが、素人の私が見ても「適切に」剪定されていたとはとても思えなかった。和風の庭が、庭というよりは林に近くなってしまっていたのだ。

松や槙の剪定ができていないのは見てすぐにわかるが、もともとは一つ一つの植え込みがバランスをとりながら大きな岩やつくばいと調和の取れた景観を維持していた、はずなのに、樹々が大きくなりすぎて、空間がなくなってしまっていた。それに加えて、塀に沿って植えられていた木々が2階にまで達する高さに育ち、枝が幹の隙間を埋めてしまったため、外の道から見ても鬱蒼とした林の印象のオーラを発していた。

庭を作った植木屋さんとは連絡が取れず、また街で見かける植木屋さんに飛び込みで相談するわけにもいかず、結局は市のホームページでも紹介されている、いわゆる「シルバーさん」に依頼するのが妥当だろうということになり、HPに書き込んだところ、下見にきてくださった見積もりについて話し合い、先週末の2日間来てくださった。

朝7時半から夕方まで、4人のシルバーさんは働き働き働き・・・。二人は、大きな樹木の伐採、松や槙の伐採と剪定、茶室から見える植え込みの剪定、残りの二人が、伐採や選定でどんどんできる木屑を軽トラックに積み込む作業とそれを処理業者に持ち込む作業を分担。見事なチームワークだった。

4人のシルバーさんたちのシステマティックな動きは、「シルバーさんは素人の老後に楽しみ」程度にしか思っていなかった私の目にはプロの「連携のとれた動き」そのものに見えた。エンジンカッターで大きな幹を切り落として高さを揃える人とそのあと樹木の形を整える人、切り落とされた幹から枝葉を切り分けてそれぞれを軽トラックに詰め込む人と、詰め込まれた幹・枝葉を整える人。これらの連携が実に「美しかった」のだ。

1日目の夕方は切り方打に切られた木々の集合体だった庭が、二日目の夕方には和風の庭に落ち着いた。

私はプロの仕事の手際の良さに見惚れた。「資格試験に合格したからプロ」なのではなく、試験があろうとなかろうと「プロとしての実力が備わっているからプロ」なんだと、ま、言うまでもないことを改めて考えていたのだが、古き日本では、棟梁をトップにプロの集団が構成されていたのだが、明治維新後、特に戦後、プロの仕事は独占権とセットで語られるようになり、プロの仕事の品質の高さの影が薄くなってしまったように感じる。しかし、プロの資格の認定試験があろうとなかろうと、プロはプロ。

プロの実力を思い知った二日間だった。

 

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