祇園祭 宵宵山

今、NHK「日本人のお名前」を見ながらこのブログを書いている。「法度汁」の語源として「あまりに美味しいので、下々の者が食べるのを殿様が禁止した」から「御法度を語源としている」という説を聞き(ただし、諸説あり、の由)、昨今の菅政権のやっていることはこの殿様の振る舞いを連想させるなぁ、とほとほと呆れ返っているのだが、実は金融機関からの働きかけを依頼していただけでなく、それ以前に、内閣官房と国税庁が酒の販売業者の組合に対して「酒類販売業者におかれては、飲食店が要請に応じていないことを把握した場合には、当該飲食店との酒類の取引を停止するようお願いします」という文書を出していたことが明らかになるに及んで、国民を思い通りに動かそうとする日本人政治家・官僚のDNAの根深さに首筋が寒くなった。(一昨日、2回目のワクチン接種を受けた副反応ではない、念のため)

しかも、責任者が誰も責任を取らないところには「古代蓮の種」(ご存じない方はググってください。滋賀県民には半ば常識です)のような生命力を感じるほど。菅義偉はいつものように「承知していません」と平然と言い放ち、麻生副総理は「途中報告は受けていました。私の方は何か違うんじゃねぇのと思って、ほっとけと」言ったそうだが、「違うんじゃねぇの」と思ったのなら止めないと、「ほっとけ」と言ったとしたら承認したも同じ。なのに、知らん顔。

前の戦争の責任については、子供心にも、その不公平な扱いに腹を立てたものだった。普通の善良な市民でありながら、BC級戦犯として逮捕され、絞首刑になった「私は貝になりたい」の主人公、フランキー堺の無念そうな表情を今でも思い出すことができる。他方、日本国民にあれだけ悲惨な数年感を強いた責任を負うべき立場であり、一度はA級戦犯として拘留されながらも罪には問われることなく、やがて総理大臣になった人もいる。上級国民の見本だろう。

ガバナンス・コードを遵守することを強制されるのは民間部門ばかりで、政治家も官僚もガバナンスとは無縁。納税額を間違えると「過少申告加算税」まで課されるのは我々一般国民で、政治家は訂正すれば政治資金規正法違反に問われない。なんと不公平なこと。

実は、明治の末に「会計監査士法案」を審議していた帝国議会では「官僚の時代は去って、今や民間の時代がきた」という議論が行われていたのだが、それから100年以上が経過した今でも「民間の時代」にはなっていない。情けないなぁという気持ちでいっぱいなのだが、昨日、同志社からの帰りに四条で途中下車して祇園祭の鉾を見ながら、この町衆の力を山鉾以外にも示す日が来るのはいつのことやらと、雨雲を見上げた。今日は宵宵山。