日本に禁酒法時代が来るとは・・・

子供の頃、TVでアメリカのドラマ「アンタッチャブル」が好きで、よく見ていた。アメリカの禁酒法時代のFBIとギャングの攻防。マシンガンを撃ち合うシーンにドキドキした記憶があるが、「ちょっとしたこと」があって、これがいつ頃のドラマだったのかWikiで調べようと思ってググったところ、出てくるのはお笑いコンビのことばかり。

「アンタッチャブル+テレビドラマ」でググったら、目指すドラマが出てきた。1959年から63年にかけて放映されていたそうで、私は小学校高学年から中学2年生、今話題の前回の東京オリンピックの前年まで放映されていたとのこと。当時、TVを見ながら、子供心に「どうしてアメリカではお酒を飲んではいけないの?どうして上流階級は秘密のパーティでお酒が飲めたの?どうして公務員が密造酒の樽を斧でぶち割っていたの?」と疑問がいくつも湧いて出たものだが、今、「日本はどうして禁酒法もないのに禁酒に近い状況に陥っているの?」という(納得できない)疑問に、ひょっとしたらこの日本の「閉塞状態を打開できるかもしれないヒント」を提供してくれる一つの出来事があった。

今やネットで「経済破壊大臣」「経済阻止大臣」「経済止めちゃう大臣」「経済弾圧大臣」「経済低迷促進担当大臣」「経済のこと何も考えていない大臣」などと揶揄されている西村経済再生大臣について、Wikiがリアルタイムの書き込みをしているのは、この事に関心を持っている人がいかに多いかを物語っている。今の時点の書き込みを、少し長いが引用する。

「7月8日夜、西村も記者会見を開き、緊急事態宣言発令に際し酒類を提供する飲食店が休業要請に応じない場合、その店舗情報を金融機関に提供する考えを表明。『店舗の情報を関係省庁、金融機関とも共有し、金融機関からも応じてもらえるように働き掛けを行ってもらう』と述べた[13]。この発言に対し、立憲民主党の安住淳国対委員長は国会内で記者団に『金融機関に対し、言うことを聞かない酒屋さんに『お金を貸すな』みたいなことを政府側が言う権限は法律上どこにもない』と指摘。『単に脅している、締め付けをしようということだ』と反発した[13]。銀行関係者も『あり得ない。お酒を出さないよう融資で締め付けているように見えれば、暴力を背景に仕事をしているヤクザと一緒だ」』と強く抗議した[14]。7月9日、自民党の森山裕国対委員長と林幹雄幹事長代理は、加藤勝信官房長官と首相官邸で会談し、西村の発言について『閣僚発言は重い。誤解を招くことがないよう注意してほしい』と申し入れた。西村は同日の閣議後の記者会見で『不公平感の解消』のためだと説明し、この時点では発言を撤回しなかった[15]が、同日、加藤官房長官は記者会見で、西村からの連絡を受けて方針を撤回したことを明らかにした[16]。西村自身も同日夜のBSフジの番組に出演し『関係省庁から金融機関に何か働きかけをすることはやらない』と述べるなど、一日でグッドアイデア(本人は多分そう思っている)の見直しに追い込まれた[17]。」

当然の結末だろう。それにしても、どうしてこのようなことになってしまったのか。多分、安倍晋三に2度目のチャンスを与えた瞬間に日本社会の歯車が狂って、このような状況に追い込まれる第一歩をふみだしたのだろう。政権の中枢にいる日本の政治家たちは、合法・非合法を問わず何でも自分の思い通りになる、と思うようになってしまっているように見える。レストランや居酒屋でお酒を出さなかったらコロナが収まる、というのが真実だという根拠を示さないまま、また、約束していた休業補償を保証しないまま、アメリカの禁酒法と同様の状況に追い込んだ政権が、日本全国の学校の休校宣言以来1年以上が経過した今、さらに飲食店とお酒を目の敵にしているのはどういう理由によるのか。多くの日本人が変だと思いながらも、「これは変だ!」と言えば他人からどう見られるだろうと忖度し、「NOと言うことに」躊躇しているうちに、日本は、法律がなくとも「要請」でなんでも強制できる恐ろしい国になってしまった。そんな日本が中国やロシアを非難できるのか?

『NOと言える日本』が出版されたのは1989年。バブルがはじける前年だった。日本のレピュテーションが最高レベルに達していたときにNOと言わなかった日本は、すっかり落ちぶれてしまった今、「いやいや!」と言わないまま手篭めにされる(誰によって?)状況は若い世代に大きな傷を残すのではないか、とNHK土曜ドラマ「ひきこもり先生」の最終回を見ながら、考えていた。今TVの画面では、安倍晋三が日本全国一斉休校にするすると宣言したことによって卒業式のなくなった学校で数人の先生によって不登校の生徒たちのための卒業式が行われるという場面を映し出している。

NHK、やるじゃない!

去年、私の最後のゼミ生に卒業式をしてやることのできなかった「浅はかさ」を、私はNHKを見ながら反省している。

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