「東芝」もの言う株主の行動力から学べること

今日は東芝の株主総会の日。会社側が取締役候補としていた社外取締役の永山治氏(取締役会議長)と小林伸行氏(監査委員会委員)の再任案が否決された。

永山治氏について、私は、14日の記者会見をTVで見た翌日のブログに「・・・去年から東芝の社外取締役として取締役会議長に選任されているとのこと。画面からは実に誠実な人柄だという印象を受けた」と書いたが、もの言う株主に日本人的シンパシーは通じず、クビになってしまった。そこまでやるか?と思わないでもないが、株主は黙って配当金を受け取るだけの存在ではなく、自分たちの利益を考えて行動するhスタイなのだと考えれば当然の行動なのだろう。

この否決を中心に株主総会の様子を伝えた今日のTV各局は揃って「2015年の東芝の不正会計事件・・・」と報じていたが、そもそも、東芝の不正会計=粉飾決算を「不適切会計」などというそれまで聞いたことのない言葉を創作してまで報道し続けたのは日経新聞を先行ランナーとするマスコミ各社ではなかったのか。会計学者でなくとも、簿記・会計学を勉強したことのある人なら問題となった東芝の会計処理が利益操作を目的とする粉飾以外の何者でもないことは明白だったのに、検察までもが一般的な会計処理だと主張して「不適切会計」のレッテルを貼って一件落着。監査法人だけがペナルティを食らったのだった。詐欺師は無罪放免で、詐欺師を捕まえられなかった警官は有罪、そんな理屈に合わないことがあるか?

ここでまた同じことを書いて恐縮だが、そこまでして東芝を守ろうとした政官財連合体の不審な動きによって日本の会計・監査制度がぐちゃぐちゃにされてしまうことに対する私の「怒り」が『会計監査本質論』の執筆・出版につながったのだが、それからわずか数年のうちに、マスコミ各社は「東芝の不適切会計」を「東芝の不正会計」に呼び方を変えていた。いつの間に宗旨替え?

しかし、東芝のそのような体質は不適切会計時代と何ら変わっていなかったことが今回露呈した。もの言う株主の投票結果に従うのではなく、投票行動に圧力をかけて投票させないようにしたのだ。株式会社の法的構造を伝統的な日本型からガバナンスに有効だと思われている先進的な欧米型に変えても、東芝の古い体質を誤魔化し続けることはできなかった。古色蒼然たる企業体質は組織の仕組みを変えるだけで易々と先進的なものへと脱皮できるわけではない、ということがよく分かる好例であった。それにしても、国際的巨大企業がそんなことをして許されると本気で信じていたのだろうか?

人間の目は眩ませても、天の神様はちゃんと見ておられたのだろう、悪事はバレてしまった。東芝の自浄行動の第一歩と思われる調査委員会の報告書には、去年の株主総会をめぐる政官財連合体の動きが事細かに書かれている。しかし、政と官は当然の如く知らぬ存ぜぬを決め込み、世間がオリンピックに関心を向けるのをじっと待っているかのよう。60年安保の際に、国会議事堂を取り巻くデモ隊の人数よりも後楽園球場の野球観戦者の方が多いと嘯いた岸伸介を思い出す。

一般の株主は無力だと考えられがちだが、株主がもの言えば東芝の暗部さえもえぐることができるということを示している今回の株主総会の顛末は、国民の目を眩ませれば何でもできると考えている節のある政官財連合体の思う壺にハマらないためにはどうすれば良いか、キーとなるヒントを提供してくれた。日本人は「もの言う国民」になればいいのだ。

もしも日本人が「もの言う国民」にならなかったら、英国版『野望の階段』(BBC)で描かれたフィクションがこの21世紀の日本で現実化するのではないかという恐怖の未来を想定しなければならない時が来るのではないかと、私は天の神様がちゃんと見てくださっていることを切に祈りながら今日のブログを終えて眠るとしよう。