「64になったら」から16年が経過した(え?)

今日は私の72回目の誕生日である。歳男として還暦からもう一回りしたことになる。一昨年古稀を迎えたので「還暦の時とおなじように祝賀会をしましょう」とゼミの卒業生から声をかけてもらったが、2017年に『会計監査本質論』の出版祝いの会を開催し、2018年にそれが日本監査研究学会賞を受賞したお祝いの会を開催したうえに、2019年にそれで同志社大学から博士の学位を取得したお祝いの会に加えて古稀祝賀会を開催したのでは、なんぼなんでもみんなもう辟易するに違いないと思い、退職した年にそれらをまとめてお祝いして欲しいと言い、そうしてくれる予定になっていたが、新型コロナウイルスのために祝賀会は延期されたまま1年以上が経過した。このブログの右上中央に「退職記念パーティーは延期となりました。延期先の日程は改めて告知いたします」と赤で書いてあるのがその告知。

というわけで、実は、今年の誕生日は一つの区切りが区切りにならないままずるずる来てしまっているというわけなのだ。記念すべき今日、何を書こうかと考えていたら、ふと、チャペルアワーで話したテーマを思い出した。これが「64になったら」。56歳の時に自分の人生を8歳ずつ振り返って話をしたものだった。

8歳でチャップリンはステージでタップダンスを踊ったが、私は小学校2年生で担任に教室で立たされていたという話。

16歳でブッダは結婚して息子が生まれて間もなく出家したが、私は高校1年生で担任に社会科の出来の悪さを指摘されていたという話。

24歳でオードリー・ヘプバーンはアカデミー賞を取ったが、私は大学院の1年目で指導教授から研究者にならないかと声をかけられてその気になったという話。

32歳でショーン・コネリーはジェームスボンドを演じたが、私はようやく最初の「共訳書」を出版したという話。

40歳でパール・バックは『大地』でピューリッツァ賞を受賞したが、私はアメリカの監査基準の改定が私のそれまでの研究が間違っていなかったことを証明したと安堵した反面、本にしておかなかったことを悔やんだという話。

48歳でケプラーは惑星の運動に関する第三法則を発表したが、私はローバーという英国車に乗るようになり、実生活と研究とが急に同志社と新島襄に近づいたという話。

56歳でエッフェルはエッフェル塔を作ったが、私は学生支援センター長として忙しい毎日を送っていたという話。

64歳でジョン・ネーピアは「対数の概念」を発表したが、さて、私は私が64歳になったらどうなっているだろうか、と言いながら様々な可能性を述べて奨励を終えている。(全文はキリスト教文化センターのHPでお読みください。)

実は、私は、56歳の時に想像した未来よりもはるかに監査論研究の仕上げに打ち込んで、64歳を過ぎてから怒涛の日々を送ることとなった。一つのきっかけは東芝事件だったが、それに加えてもう一つ別の出来事があって、研究者としてのまとめをしなければならないと強く思わざるを得ない状況となっていた。その怒涛のような日々の成果として、冒頭にも書いた1996年末の『会計監査本質論』の出版、学会賞の受賞、博士学位の取得、そしてその余波が72歳の今日まで続いているというわけ。

大器かどうかは別として、晩成の人生を送っていることは確かだろう。