今年も半年が過ぎた

京都では、今日6月30日は水無月を食べる日。大学からの帰り道に京都駅の伊勢丹に寄って仙太郎で水無月を買うてきて欲しいと言われたので、寄り道した。和菓子売り場の仙太郎コーナーは、長蛇の列だった。

仙太郎の隣が普段は行列のできる阿闍梨餅の満月、反対側に俵屋吉富も鶴屋吉信もあるけれど、今日のような水無月を食べる特別な日には仙太郎に行列ができる。去年の中秋の名月の日にも仙太郎には月見団子を買い求める人たちの行列ができていた。この日にたまたま同志社に出社していた私は仙太郎の月見団子を頼まれていたが、列の長さに恐れをなして月見団子限定の特設売り場で買って帰った。しかし、団子の固さに「作り置きではないか」という疑念を感じたため、今日は列に並ぶことにした。

実は私が生まれ育った京都の生家の近くには俵屋吉富と鶴屋吉信があり、ちょっと遠出すればとらやもある。いずれも上等な生菓子屋さんで、晴れの日には生菓子や雲龍・京觀世・おもかげなどを買ってきて、とお使いを頼まれたものだった。しかし、普段は、家の近くにある長栄軒や親玉堂といったお餅屋さん(おまんじゅう屋さん)で季節のおまんじゅうや練り切りやこなしを買ってくるように言われた。もちろん、豆餅は出町のふたば、らくがんは京都鶴屋に買いに行ったし、最中やぼた餅は仙太郎の人気が高い。

こういう環境で育つと、「餅は餅屋」の意味がよく理解できるのだ。

話はごろっと変わって、明日から7月に入り、23日にはオリンピックが始まるという時期になって、急に、コロナに対する切り札ともいうべきワクチン接種に不透明感が広まり始めた。1日100万接種を目指していたはずなのに、どうやらそれを達成した途端に、ワクチンが不足しそうだというニュースが駆け巡っている。え?ワクチンが余っているから接種のルートを増やしたのではなかったのか?どうなっているんだ??は増えるばかり。これまで聞かされていたことは「嘘だった」のか?

もしも政治家にも「上等」と「普通」があるならば、日常的に和菓子屋さんを見分けて買いに行っているように、日本の主権者(国民・市民など)は、自分の舌で上等の政治家と普通の政治家とを見分けないといけない。ロクでもない和菓子屋さんはお客さんが寄り付かなくなってしまって自然に姿を消すだろうが、選挙区のシンパに支えられるロクでもない政治家は、ロクでもない選挙制度に助けられて生き残る仕組みになっている。日本の主権者がこの仕組みに重大な問題があると気づいても手遅れ。この仕組みを作るのが政治家自身だから、一般の主権者は手も足も出せない。商品を買わないことによってお店を潰してしまう、という手段がないのだ。

中国やロシアの政治的な問題点はTVのニュースで繰り返し報道されているが、日本の政治システムが内包しているこの問題点については、ほとんど報道されていない。我々日本人にとっては、こっちの方がよほど重要だと思うのだが・・・。