目撃!にっぽん「苦手なことは、可能性だ~“教えない授業” 半年間の記録~」

今週の日曜日(11日)、目が覚めたのは6時過ぎだった。ちょっと早かったが、ニュースを見ようと思ってTV をつけたら、「目撃!にっぽん『苦手なことは、可能性だ~“教えない授業” 半年間の記録~』」という番組をやっていた。このブログを読んでくださっている方の、多分、誰一人としてご覧になった方はおられないと思うが、なかなか面白い内容だった。

志願者の減りつつあった中高一貫校が、毎週1日を「教えない日」にして、生徒自身に「自分で考えて勉強する機会」を提供するという学校改革を実行し、そのための専門家を招いて生徒たちに自分の好きなことを見つけ出させて挑戦させるプロセスを丹念に追っていた。流行りのPBL(Project-Based Learning=課題解決型学習)なのだが、決定的に面白かったのが、中学部でPBLの面白さを発見した(と思われる)生徒が、そのまま高校部に進学しないで、別の高校を受験したという「落ち」だった。多分、その中高一貫校でそのまま高校部に進学したのでは「いい大学」に進学できないと思ったからだろう。

ここに二つの疑問が生まれる。一つは、「いい大学」とは何であって、その「いい大学」で学べる中身は本当に「いい内容」なのかという疑問であり、もう一つは、中学生にPBLの教育を施すことで「いい成果」が得られるのだろうかという疑問である。

多分、今の高校生は大学の中身を見て「いい大学」を選択していないだろう。様々な指標や評判から「いい大学」と思われている大学を選択しているのだ。とすれば、「いい大学進学率」の高い高校に進学しないと、「いい大学」にはいけないので、ユニークな中高一貫教育を選択しないで他の高校に進学することとなる。

もう一つは、中高が大学に進むための通過点に過ぎないのだとしたら、中高でユニークで面白い教育、例えばPBL教育を提供しても、それに対するニーズは大きくなくて、学区にとって期待通りの「いい成果」をもたらすことはないこととなる。

しかし、全ての小中高教育が大学入試に合格するための教育だとしたら、子供たちにとってこれほど不幸なことはない。小学校には小学生の生活があり、中学校には中学生の生活があり、高校には高校生の生活があるのだ。それらの生活の先に高等教育が存在しているに過ぎないのであって、それらの犠牲の先に高等教育があるのだとしたら、その犠牲は大き過ぎて、多分残りの人生でそれを取り戻すことは不可能だろう。おまけに、大学での勉強はその先に進むための勉強ではないから、大学での生活はそれまでの犠牲を帳消しにするようなものになりかねない。

今の日本の教育システムの抱えている問題を30分で描き出した面白い番組だった。(今度の日曜日の朝6時40分までNHK+で視聴可能。)