新型コロナウイルス禍の大学生諸君へのエール 2

4月の第2週に入り、「対面授業」を受け始めた大学生諸君もたくさんおられることと思う。諸君に、半世紀以上前の大学新入生の思い出話を少し書いておきたい。(「いらないよ」という声が聞こえてきそう。でも、書いておこう。)

実は、TVのニュースで、近畿大学(今は「近畿大学」ではなく「近大」が正式名称だとか。近大のHPによれば、「大学英文名称を「KINKI UNIVERSITY」から「KINDAI UNIVERSITY」に変更します。」という告知の後に、理由として「英語で発音した場合『KINKY』(風変わり)と聞こえる場合もあり、海外の学生が留学先として本学を選ぶ際の阻害要因となる可能性があったため、従来から名称変更を検討していました」とあるが、若干「そうかなぁ」という気がしないでもない。昔「同志社大学という名前が誤解を招き、父に反対されました」という台湾からの留学生がいたけれど、同志社は同志社、名称変更の話など聞いたことがない)が、教室の「密状態」にリスクを感じた学生の要望を受けて対面授業を見直す、という報道があったと思っていたら、一昨日、近大のHPで「対面授業の割合を減らしオンライン授業を増やす判断をいたしました。その対応と準備期間として、対面授業について4月12日から4月18日までを臨時休講といたします。」と告知されていたのを読んだ。

私は、対面にせよオンラインにせよ、授業というものがそんなに大事なのか、という疑問がどうしても拭えないのだ。

私が同志社大学に入学した1969年度生からの商学部の新しいカリキュラムには「体系」らしきものがほとんどなかった。卒業に必要な147単位の「要件」は、一般教育科目にはあったものの専門教育科目にはほとんどなくて、どの科目を登録履修するかは学生自身の判断に委ねられていた。ただ、1回生の「一般演習」から始まって2回生から4回生まで継続する「演習」が商学部カリキュラムの中心にあったようだが、他の大学と比較したこともなかったので、我々学生には知るよしもなかったが、これを「演習中心主義」と呼ぶことを商学部の教員になって初めて知った。

それでも、私たちは登録するべき科目を選択し、教室に行ったけれど、自分たちの目で授業を値踏みして(=新入生のくせに厚かましいね)、翌週からは大半の授業に出なくなったのだ。しかし、その授業の単位を取らなかったわけではない。その授業に出席する90分がもったいなくて(=担当教授等の講義に価値を認めなかった)出なかっただけであって、その科目に関係のあった専門書を読んだり、立命館や京大で開講されている同じ科目を聞きに行ったりして、単位を取得したのだ。

つまり、大学で学ぼうと思っている何かがあるのなら、それを学ぶ方法は授業だけではない、ということ。授業に過度な期待を抱かないほうがいい、というアドバイス。でも、やっぱり「いらないよ」という声が聞こえてきそう。