「参院決算質疑」の怪
久しぶりに自宅でNHKの国会中継を見ながらブログを書いている。なんと形式的なやりとりを行っていることか。イギリス国会での与野党の丁々発止の質疑応答をTVで見た経験から言うと、質問者も答弁者も原稿を読み上げる場面を見ていてもちっとも面白くない。首相の答弁が空虚に響く。また「お答えを差し控える」と臆面もなく繰り返している。
イギリスでは、国会開会中、TVで毎朝8時から前日の国会での議論のダイジェスト番組があり、コメンテーターのコメントも面白くてよく見たものだった。また、インターネットがなかったこの当時、有料電話で国会中継が聞けるというサービスも成立していた。国会でのやりとりが面白いことと、その成り行きが自分たちの生活に密接に関係しているとイギリス国民が自覚しているからこそ、このような番組やサービスが成立していたのだろう。
昨日(11月29日)は1890(明治23)年に帝国議会が開設された記念日で、天皇皇后両陛下と眞子様の出席のもと「議会開設130周年記念式典」が参議院本会議場で開かれたとのニュースを見たついでに、Wikiを読んだら、「超然主義」という言葉が出てきた。日本史で習ったのだろうと思うが、全く記憶になかった。
超然主義は、大日本帝国憲法公布の翌日1889(明治22年)2月12日に第2代内閣総理大臣の黒田清隆が行ったいわゆる「超自然主義演説」で表明されたもの。翌日、伊藤博文も同様の主張を表明する演説を行ったとのこと。
これに対して、大日本帝国憲法の起草者であった井上毅、伊東巳代治、金子堅太郎たちは次の言葉を引用して、ビスマルク流の専制政治を日本に持ち込むものだと批判したとのこと。
Wikiは「大正デモクラシーの時流の中で時代遅れとなった超然主義に、存立の余地はなかったのである」と結んでいるが、国会中継を見ながら、超然主義がいつの間にか息を吹き返していることを見せつけられている気がして背筋が寒くなった。前回も「民」の字の成り立ちについての説明を引用して締めくくったが、もう一度示しておこう。