「前世カフェ」の怪

心斎橋に「前世カフェ」という相談者の前世を三代前まで遡って教えてくれるカフェがあると聞いた。ググってみると、なかなか好評判のようで、実際に前世を教えてもらった人が「84年前、スイス(女の人)、孤児院の先生。176年前、イタリア(男の人)、軍人。270年前、スペイン(女の人)、古着屋の奥さん」とか「82年前、トルコ(男の人)、行商人。169年前、中国(男の人)、寺子屋の先生。271年前、イタリア(男の人)、村役人」といった手書きのメモをアップしている。

カフェでは前世のメモを渡されるだけでなく、その前世から派生する性格や生活環境についてのさまざまな話も聞かせてくれて、しかも、それらの内容が相談者にとって思い当たるフシの多い指摘だそうで、満足度の高そうな書きぶりが並んでいる。「自分の前世を知る事は、自分の本質を知る事」とまで書かれているのを読むと、「本当に他人の前世がわかるのではないか」と思ってしまうと同時に、全ての他人の前世が頭に浮かぶ生活なんて、賑やかを通り越してしんどいことだろうなぁと同情してしまう。

しかし、自分自身の前世なら、丹念に記憶を辿れば案外見えてくるのではないかという気がしないでもない。実は、私の前世は幕末の侍ではないかと思わせる「リアルな夢」を繰り返し見た時期があったのだ。これには複数のパターンがあって、一番よく見たのが「深夜、誰かに追われて出雲路橋の西側の土手を息急き切って下り、一軒の長屋の戸の陰に身を隠し、いつでも抜けるように刀の柄を握って息を殺して身構える」というものと、「十石舟に揺られながら伏見の川面に浮かぶ置屋か遊郭の灯りを見ながら思案している私。音曲が賑やかで、見上げる私の目と耳には各部屋に大勢の客がいて芸妓の接待を受けている様子が届いている」というもの。

この二つのシーンがつながっているのかどうか、もしもつながっているのだとしたらどちらが先なのか、といったことは分からずじまい。いつの頃からかとんと見なくなったが、繰り返し見ていた頃には「私は坂本龍馬の生まれ変わりではないか」などと思ったこともあった。しかし、おりょうさんは出てこないし、ピストルを持っていた実感もないから、多分違うのだろう。

私は2〜3歳の頃の記憶を断片的に思い出すことができるので、その周辺の脳細胞を刺激すれば断片をつなぎ合わせてより鮮明な記憶にたどり着くことができるのではないかと思っている。スピリチュアルな出来事(と言うほど大層なものではないが)をいくつか実際に体験している身としては、このブログを書く機会を利用して、自分自身の記憶を辿るという作業をしてみようと思っている。