又々 アカウンタビリティの重要性

 

前回の最後に「日本人は日本の政治を四流という前に、政治が四流なのは国民が四流の証拠だと素直に思うこところから始めなければならない」と書いた。この言い回しはもともとバブルの頃に「経済一流、政治は二流」とか「経済一流、政治は三流」と言われていたものをもじったものだが、このエッセーを書いたのはバブルが崩壊した直後の1991年春。イギリスに1年住んで、イギリスの政治家・企業経営者のアカウンタビリティの意識の高さはイギリス国民の意識の高さを反映したものだと感じた私の中では、アカウンタビリティの意識の存在しない日本の政治家と国民は両方とも四流としか思えなかったのだ。

今改めてこの言い回しをググってみると「技術一流、経済二流、政治は三流」とか「官僚一流、経済二流、政治は三流」が出てくるものの、比較対象として「国民○流」と組み込まれたものは出てこない。どうやら日本人は自分たちのことを評価しないまま、他人事のように政治や経済を見ているようだ。「芸能人格付けチェック」を見ながら本物のカニとほぼカニとを見分けられない四流芸能人を他人事として笑っているが、目隠しをして食べるほぼカニと本物のカニを見分けられない自分を知ろうとしないのだ。(うちの家族は、マリアージュも加えて試してみた。結果についてはご想像にお任せする)

イギリス人が、自分たちこそがこの国の主権者だと認識している証拠の一例としてエッセーに書いた「スピッティング・イメージ」というTVの風刺人形劇が、ありがたいことに今YouTubeで見ることができるので、是非一度見て欲しい。王室一家も主要政治家も容赦無く国民目線で調理する。無惨なものである。

エッセーに書いたチャールズとダイアナのベッドシーンを載せようと思ってYouTubeを検索したところ、新しいシリーズが始まっていたことを知ったので、王室編とその新シリーズを下にのせた。

Best of The Royal Family on Spitting Image

「印象操作はやめていただきたい」と言われて縮み上がる日本のマスコミ諸氏にも是非ともご覧いただきたい。とてもこのような風刺番組は作れないだろうけれども、政治家に代表される重要なアカウンタビリティを負っている人がその責任を果たすまでしつこく「国民に説明してください」と迫って欲しい。

実は、滞英中ある日本のテレビ局の方と話をする機会があった。イギリスのテレビ番組をどう思うか聞いたところ、大変面白いという返事。ではどうして日本でイギリスのような番組を作らないのか聞いたところ、「日本の国民が望む番組を作ると、ああなる」との返事だった。

「芸能人格付けチェック」だと本物のカニとほぼカニとを見分けられない四流芸能人は画面から消えてしまって一件落着だが、現実には四流政治家がこの国から姿を消す演出はない。日本人は政治が決して他人事ではなく自分自身のことだということに一刻も早く目覚めて、「支持政党なし」状況が後悔しても後悔仕切れない事態を招くことを直視しなければならない、と自分で書いたエッセーを読み返しながら強く感じている。