魔改造の夜

小学生の頃の8月下旬、地蔵盆も大日さんも終わり2学期の始業式の声が聞こえ始めて夏休みの宿題の点検を始める頃になると、私の父は「宿題の工作づくり」に打ち込み始めるのが常だった。宿題を課せられていたのは私だったから、父は別に工作に打ち込む必要はなかったのだが、9月1日までの数日間を宿題の工作づくりに打ち込んでいた。

どのようなものを作ったのか。私の目から見て最も上出来だったのは、今やドローンに取って代わられた「エアカー」だった。「エアカー」というよりはむしろ「ホバークラフト」に近かったが、とにかく空中に浮いて動く物体だった。いかにして空中に浮かせるか、父は考え考え考え抜いていた。子供の目にもその真剣な姿はこの工作が私の宿題だと言うことを忘れさせるに十分だった。今でも、その1日をはっきりと思い出すことができる。何せ、工作ができあがらなかったら担任の先生に叱られるのは私だったから、完成するかしないかは天国と地獄の差があったのだ。

父親が一心不乱にその年の作品づくりをしている姿を見ながら、私が何をしていたのかと言うと、私は父のそばでテレビを見ていたのだった。どんな番組だったかは覚えていない。しかし、父親の工作には全くタッチしていなかったので、父親の作業を見ながらただついていたテレビを見るしかなかったのだ。

この子供の頃の経験を、昨日(というか、今日未明)のNHK「魔改造の夜」を見ながら思い出していた。

実は、この「魔改造の夜」という番組を私は昨日まで全く知らなかった。たまたま見たら、実に面白くて、目を離せなかくなってしまった。(どんな番組かは「NHK+」を見てください。)

深夜2時を過ぎても見続けたい気持ちでいっぱいだったが、今日の大掃除や買い出しがあったので、寝た。

で、目が覚めて思ったのは、日本のものづくりの原点はこの「魔改造の夜」にあるのではないかということだった。

もともと日本のものづくりは「経済発展」や「国民の豊かさ」とは無縁の存在だったのではないか。江戸時代、米の不作で餓死する人が絶えない社会を米の品種改良で救おうとしないで、珍しい品種の朝顔を作ることに全集中させたことに象徴されるように、何かの役に立たせようという価値観よりも、自分の興味を刺激するものを作ったり打ち込んだりするのが日本人ではなかったのか。

日本のものづくりは「遊びをせんとや生まれけん」と同義語だったのではないか、と私は思っている。昨今流行りの「能力主義」とは全く無縁。働くことそのものが人生を楽しむことだったのではないか。日本各地のからくり人形を盛り込んだお祭りや、からくり儀右衛門を始祖とする東芝、そして、この番組でプライドをかけて参入した自動車メーカーなどは、伝統的な日本のものづくりを象徴しているように思えた。

明日で2021年が終わるまさに今、とにかく「**をしたい」という気持ちを優先させてものを作る人たちを褒め称えるこの番組は、実に日本人の「ものづくりの原点」を象徴する番組だった。ここに日本のものづくりのターニングポイントがあるのではないかと思わされた数時間だった。

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