総選挙の前哨戦
昨日、山口と静岡で投票された参議院議員補欠選挙で、自民と反自民が1議席ずつ獲得した。
読売新聞によれば、岸田首相は「25日朝、『山口県では県民の信任をいただき、心から感謝したい。静岡県は残念な結果だった。様々な要因の積み重ねだと受け止めている』と述べた。その上で、『気持ちを引き締め、政権選択選挙である衆院選に向け、努力を続けていきたい』として態勢を立て直す考えを示した」そうだが、「様々な要因の積み重ねだと受け止めている」というその「要因」とは何なのか、また、「努力を続けていきたい」というその「努力」とはどのようなものなのか、何も語らなかったようである。
「様々な要因の積み重ね」というのは「静岡県で負けた要因」のことだろうから、それについて具体的に語るこことは、総選挙中でもあり、岸田首相にとっては極めて大事なことではないのか。岸田首相は、自民党総裁選挙に立候補することを表明した当初、モリカケ問題について「国民が納得するまで努力をすることは大事だ」を再調査すると言っていたのに撤回、目玉公約だったはずの金融所得課税の見直しについても「当面は触ることは考えていない。まずやるべきことをやってからでないとおかしなことになってしまう」と撤回、地元広島の選挙で河井案里側へ渡った1億5千万円についても「説明は必要」と繰り返していたのが「再調査は考えていない」と撤回、「選択的夫婦別姓」も「所得倍増」も姿を消した。そういった前言撤回・態度豹変に対する批判のうねりが敗因だとは考えないのだろうか。もしもそうだとしたら、いくら「努力を続けた」としても失地回復は望めないのではないだろうか。
最近、首相や重要閣僚が記者会見や座談会で具体的に何かを語るということがほとんどなくなってしまったような気がしてならない。「仮定の質問にはお答えしません」とか「個別具体の事例についてはコメントしません」と言うのは普通のことになってしまったし、最近耳障りなのが、一言二言言っただけで「何れにせよ」とまとめてしまうこと。それまで説明してきたことは何だったんだ?と、一瞬戸惑ってしまう。この「何れにせよ」とまとめることが説明しようという気持ちが微塵もないことを露呈してしまう決まり文句になっていることにすら気がつかないのだろうか。
多分、昔の「お殿様」も多くは語らなかっただろう。しかし、お殿様が「腹を切る」ことによって失政の責任をとったのとは対照的に、今のこの国のリーダーは「腹が痛い」と言って責任をうやむやにしたままフェードアウトする。いや、フェードアウトしたと見せかけて、ほとぼりが冷めたとみるや、こっそり復活を遂げる場合もある。日本というのは何と甘っちょろい国だろう。
太平洋戦争終戦時の「一億総懺悔」の悪夢を繰り返さないために、あと1週間となった選挙戦の行方を注視したい。