社会と監査 第4回 「新型インフルエンザ」って、覚えてる?

授業の準備のために、MacBookAirに残っている( =正確には、クラウドに残っている)過去の講義のデータを見ていたら、2009年のデータには次の表紙だけが残っていました。そして、自分の記憶力の貧しさに慄然としました。

「新型インフルエンザのために全学休校」?まず頭をよぎったのが「サーズのことか?」でした。でもサーズ(=重症急性呼吸器症候群=SARS: severe acute respiratory syndrome)は、やっぱり中国にルーツのあった非定型性肺炎だったものの、流行したのは2003年のこと。上のスライドの表紙に出てくる「新型インフルエンザ」は広東省を起源とした世界的規模の集団発生だったようですが、恥ずかしながら私は覚えていませんでした。

翌週のスライドには次の項目が並んでいました。「水際作戦」「休校措置」「補償」「国内感染の経路」といった項目は、今回のパンデミックでも問題になった項目じゃないですか。たった10年前のことを今回の流行の初期に思い出さなかったのか?という疑問と、たった10年前の教訓を今回のパンデミックに活かすことはできなかった政官・医療の脆弱さに対する疑問が頭の中で渦巻いています。

今回の新型コロナウイルスでも、クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」の感染拡大が契機となって水際作戦の重要性が議論されたにもかかわらず、習近平の来日や外国人労働者の入国そしてオリンピック開催に関連して初動行動が遅れたために「水際作戦」は有名無実になっていたんですね。「ダイヤモンド・プリンセス号」の乗員・乗客の犠牲者は犬死になってしまいました。

安倍晋三が唐突に宣言した「休校措置」は日本中を大混乱に陥らせましたが、振り返ると、連続的失政の中でもアベノマスク以上の決定的失政策ではないでしょうか。それ以降の流行の波の高さがはるかに高くなったので、ずっと緊急事態が続くという悲惨な状況を放置せざるを得なくなったのかもしれません。健康状況を理由に政権を投げ出した安倍晋三は同じ前科があっただけに許してはいけない責任放棄だと思っています。政策の振り返りは行われているのでしょうか。

「観光業や飲食業の人々への補償」や「音楽や芸能に関わる人々への援助」がドイツでは「人々が生きるための糧」だと重要視されていたのとは対照的に、日本では「自助」の扱いのまま時間だけが経過しました。ようやく緊急事態宣言が解除されて観光地にお客さんが戻りつつあるようですが、次の波が見え始めると元の木阿弥となるのは容易に予想できます。ちゃんとした政策は検討されているのでしょうか。

当初からPCR検査の拡大が議論されていましたが、安倍晋三はやるやると言いながら結局やりませんでした。PCR検査を増やさないのは感染者数の実態を明らかにしないためではないかと言われていましたが、公的記録の隠蔽・改竄・破棄を平気でやってきた政権ですから、公表される数字の疑わしさは常態化しているわけですが、それでも、PCR検査をしなかったために感染経路を掴もうとしなかった責任は大きいと思います。膨大な予算を投じて失敗した厚生労働省のCOCOAも同罪です。

つまり、コロナ禍の一連の政策を見ていると、俗にPDCAと呼ばれている一連の作業が「マクロの政官の領域」ではほとんど行われていなかったことが垣間見えるのです。

この講義では「PDCA」の「C」に存在していなければならない「監査」の役割を取り扱っているのです。そして、今は衆議院議員選挙の運動期間の真っ只中。今、国政を「C」して、正しく「A」する責任は有権者にあります。講義はこの辺りで終わりますので、受講生の皆さんは自分の選挙区の情報を入手して、日曜日の投票に備えてください。総選挙の前哨戦と言われた昨日の参議院の選挙では、自民党が1勝、反自民が1勝でした。諸君の1票は貴重です。必ず投票しなさい。