「敬老の日」に思うこと
今日が「敬老の日」だと言われてもピンとこない。すでに2年前に古稀を迎えた私は老人の資格十分だと思うのだが、孫がいないからか、JRや地下鉄で席を譲られたことがないからか、日常的に老人だという自覚が全くない。鏡に写っている顔は間違いなく老人だし、Apple Watchが「階段を行け!」と言ってもついついエレベータを選んでしまうのは老人だからではないのか。それよりも、熱中症になるとヤバいからといったケチな理由で、駅まで歩かないで娘に車で送らせている。私は老人そのものだろう。
しかし、実は、私にはまだ老け込んでいられない理由がいくつかあるのだ。
その第一番目が、土曜日のFacebook(https://www.facebook.com/myurino)に書き込んだので読んでくださった方もたくさんおられるれると思うが、博士号を取得する直前の大学院生を一人抱えていたこと。もともと2003年入学のゼミ24期生だった飯田亜子さんは、学部卒業後すぐに博士前期課程に進学し、(これは書かなくてもいいことなんだろうけれど、初年度に)税理士試験に落ちたショックで打ちひしがれたけれどもすぐに目標を公認会計士試験に変え、無事に合格。金商法監査の実務で国内基準と米国基準の違いを実感した後に、この点について研究したいと一念発起して博士後期課程の入学試験を受けて無事に合格した。
もともとの計画では私が定年退職する前に博士学位を取得する予定だったが、妊娠・出産を経て復学したときにはいくつかの手続上それが無理だとわかり、ちょっと遅れたけれども私が定年退職した1年後に、無事に博士学位を取得した。その学位授与式が先週の土曜日だったというわけ。
気象情報によれば台風が来襲。なんと巡り合わせが悪いのだろうと気象予報士を恨みかけたが、何せここは同志社。神の見えざる手が導いてくださる。というわけで、無事に卒業式・学位授与式は挙行されたので、至誠館でお目にかかった上田学部長にお願いして学部長室で学位記の授与を行い、記念写真も撮った次第。
これで肩の荷を一つ下ろすことができた。
しかし、肩の荷おろしはこれでおしまいではない。第2番目以降、まだ老け込んでいられない理由=肩の荷=しなけらばならないこと、がいくつも残っている。これらをひとつづつ順番に片付けていこうと思うと、一般的に言われる「老人」になって、自宅の広縁で膝に乗せた孫の面倒をみたり、近所の碁敵と午後の数時間を過ごすということは、想像することさえ難しいのだ。
とりあえず、明日は朝から今出川に出社して、書類の山に目を通すことにしよう。敬老の日のご褒美はキリンのホームタプの生ビール。