自民党総裁選挙の怪

このブログの熱心な読者がどれだけおられるか、あまり気にせずに書き込んでいる。もちろん、ハマダくんは毎回私のタイムラインでリンクをシェアしてくれていることがFacebookからの「お知らせ」で知らされているので、ちゃんとフォローしてくれているんだなぁと認識しているが、このタイトルを見て、ハマダくんはどう感じているだろうかと想像しつつ、書き始めている。

「怪」がついているので「怪」の話なのだが、内容は、総裁選挙そのものではない。ニュースやバラエティ番組で流されている各候補の発言を聞いていると、それぞれが自民党の役職についていたり現職・前職の大臣である/あったにもかかわらず、そのことについてのアピールも反省もないままに「われこそが改革者である」という自信に満ちた発信を繰り返しているのは、非常に奇異な印象を受ける。

何の後ろめたさもなさそうな笑顔をたたえながら「われこそが改革者である」と発信できるということは、すなわち、その発言に対して「あなたもその一味ではなかったの?」と追及されることは絶対にないという自信を持っているからに他ならない。このことは、日本国民=有権者が「済んでしまったことは済んでしまったこと。過去には拘らない」という、まさに、森友問題に関連して麻生太郎が「これからの政権に前の政権の評価を聞いて読者の関心があるのかねえ」と人を小馬鹿にしたような表情で述べたことに通ずる重要な問題点を炙り出している場面に他ならない。

これは極めて重要な論点である。日本人固有の「刹那性」が果たして民主主義に馴染むかどうかという極めてセンシティブであると同時に避けて通ることはできないアジェンダに他ならない。投票まで数日しかない今、投票権を持たない立場で「評論」してみよう。

河野候補は、河野一郎〜河野洋平と続けて首相になれなかった家系をワープすることができるのか?

岸田候補は、1年前と同じように、いいことを言ったにもかかわらずいつの間にか自分の言ったことではないような扱いをされる現状を、もしも首相になったら変えることができるのだろうか?

高市早苗候補は、「いわゆるサナエノミクス」と発言したことが「日本語としてとてつもなく奇妙で気持ち悪い」ということに気づかない、あるいは気づかないフリをして笑顔を見せることがとてつもなく奇妙で気持ち悪い。

野田聖子候補は、結婚相手が噂によれば元やくざらしいが、もう一人の人気のある聖子ちゃんとは一味も二味も違った姐御の風格で自民党総裁候補に打って出た野党候補のごとき発言を繰り返している。

連日この4候補の顔がテレビで映し出されるから、自民党の党員でなくとも一定程度のすり込みが行われることとなり、このあと予定されている総選挙での野党の苦戦が容易に想像できるところに日本人の不幸を感じ取ることができる。イギリスでは、こんな不公平な状況はなかった、と記憶しているのだ。

30年前の経験だが、イギリスでは各政党の年次大会がBBCテレビで生中継されることに驚かされる。ブラックプールのような保養地で開催されることの多い党大会は、町全体がお祭りムード。入れ替わり立ち代わり閣僚やベテラン・新人取り混ぜた多様な政治家の演説を会場を埋めた党員の熱狂する様子とともにテレビの画面で見ることができる。それも半日や1日ではなく、3日ほど続くのだ。私はさすがにずっと見ていたいとは思わなかったけれど、見たい人はずっと見続けることができる。公共放送の面目躍如といったところだろう。

選挙が近くなると、テレビの政治討論番組が俄然熱気を帯びてくる。仕切るのは当然お笑いタレントではない。中年以上の経験豊かなジャーナリストが政治家相手に鋭く切り込む様は見ていて気持ちがいい。政治家も「仮定の質問にはお答えしません」などという無礼で無責任な応対をする人はいない。小泉純一郎・安倍晋三・麻生太郎・菅義偉といった首相経験者の対応がどれほどレベルが低く国民を愚弄するものかは、1週間程度のロンドン旅行であっても、BBCのニュースを見る時間を作れば誰でもわかるだろう。

この秋は日本人が観客民主主義から抜け出すことができるかどうかの一つの重要な通過点だろうと思っている。(このような評論家的文章を書いてはいけないのだが・・・)

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