「情報1」と「公共」の必修科目化の怪

同志社大学にも春がきた。しかし、今日の今出川キャンパスに学生の姿はほとんどない。まだいわゆるオリエンテーション期間中のため、PCに向かって説明を読みつつ登録作業に明け暮れているのだろう。日本の多くの大学で対面講義とリモート講義を組み合わせた形で大学での勉強が始まることになっているが、それは多分来週のこと。そういう時期に、妙なニュースが飛び込んできた。新しい学習指導要領が高校教育に新しい必修科目を導入したというのである。それが「情報1」と「公共」だ。

NHKが伝えるところによると、「情報1」ではプログラミングを学ぶことになり、「公共」では法治国家の日本では必須の立法プロセスを学ぶのだという。大学教育の現場に半世紀住みついていた私の経験から湧いて出たのは「情報1や公共よりも重要な科目は他にないのか?」という疑問だった。

私の講義では産業革命以降の企業の大規模化を中心とする経済発展についての一般常識が必要なのに、そのことについて何も知らない学生が増えてきたために余分の説明をしなければならなくなって久しい。原因は、入試科目で日本史を選択した学生には世界史の知識がほとんどなくて、おまけに、そのことについて「恥ずかしい」とも思わなければ「えらいこっちゃ」とも思わなくて、「習いませんでした」と言えば全て一件落着すると信じている(らしい)ところにある(らしい)。

そういった必修科目と比べて、情報1や公共は重要なのだろうか。

NHKでは「教える側に十分な知識がない」とか「立法のプロセスを専門にしている教員がいない」と報じていたが、そのような実態でちゃんと教育できるのかと非常に懐疑的になった。私は、中学1年生のとき、おそらく英語の免許を持っていないお年寄りの社会科の先生から英語を教わったが、先生の発音は「ズイス イズ ア ペン」と実に辿々しいカタカナ英語だったことを今でも思い出すことができる。

そういった先生に教わる情報1や公共は本当に役に立つのだろうか。

誰でも容易に想像できる高校教育の現場の問題点を分析しないまま踏み出すことの危うさは、「ゆとり教育」の失敗で学んだはずではなかったのか。

実は、私が小学校のPTA会長をしていた頃、全国の研修会でその高名さが鳴り響いていた文部科学省の官僚がゆとり教育の推進責任者だと噂されていたので、たまたま彼と話をする機会ができた時に直に聞いてみた。「どうして、ゆとり教育は失敗したのですか?」と。彼は「現場が理解しなかったから」とこともなげに言い切ったが、私はその答えにびっくりしてそれ以上彼と話を続ける気にはならなかった。

小学校での英語教育は成功しているのか?中等教育におけるPBL教育は成果をあげているのか?大学での半期15週授業回数は副反応を生み出していないのか?文科省はPDCAを実践しているのか?

私は決して戦前の日本社会に戻りたいとは思っていないが、教育システムだけは、戦前の方が今よりも優れていたのではないかと思っている。旧制中学から旧制高校を経由して大学に進む。このプロセスでは、教養を身につけつつ高等教育に耐えられるものだけが大学に進むため、国民皆高等教育システムではなかった。このことにどんな問題があるというのだろうか。ちゃんと検証されて、そのデータも存在しているとはとても思えないが、GHQのご託宣を利用して教育改革をしてみたかっただけではないかと、私は思っている。

もしも文部官僚の好奇心だけで若い人たちが振り回されているのだとしたら、・・・これ以上は言わずがなかもしれない。