百合野の監査論 第1回 イントロダクション

最初にお断りしておきますが、この「百合野の監査論」という講義は同志社大学の正規の「監査論」の講義ではありません。商学部の2回生や他学部の学生諸君が読んでくれても構いませんが、今、同時並行で行われている瀧先生ご担当の監査論とは中身が同じではありません。このブログを読んで、私の指定した本を読んで、私の主張を十二分に理解したとしても、商学部の監査論の単位が取れる保証は全くありません。同様に、今「監査論」や「会計監査」といった科目を登録し履修している日本全国の大学生諸君も同様です。何か参考になるHPはないかとネットで「監査論」を検索してここにたどり着いたことは「神の見えざる手」のお導きかもしれません。しかし、残念ながらここの知識が諸君の単位取得につながる保証はありません。今日のブログを読んで興味を持ち、単位なんかに関わりなく、純粋に「百合野の監査論」を受講したいという人は、どうぞ来週も訪れてください。今日から毎週月曜日の5講時に15回にわたって講義する予定です。(同志社大学では「○時限目」という呼び方はしません。「○講時」と読んでいます。特に同志社大学の学生諸君は間違えないように!)

上のように書いたのは、去年まで通信や放送以外の普通の大学の講義は教室で行われるものだったので、ブログで開講しても混乱は生じないだろうと思っていたら、新型コロナウイルスの影響を受けて大学の講義の大半がリモート講義になってしまったため、最初にひとこと断っておかないと無用の混乱が生じるかもしれないと思ったからです。j実はこのブログでの講義は、私が定年退職する前から計画していました。毎日が日曜日になってぼーっとしていたら老け込むから百合野ゼミのOB ・OG向けにYouTubeかブログで発信してはどうか、というアドバイスがありました。私のゼミの卒業生は37期850人に上りますが、彼ら全員が在学中に同じ内容の私の講義を聞いたわけではありません。専任講師時代の若い頃と、イギリスに留学して視点が変化した40歳頃と、最初の研究書『日本の会計士監査』(森山書店、1999年)を出版した50歳頃と、65歳を過ぎて2冊目の研究書『会計監査本質論』(森山書店、2016年)を出版した前後とでは、講義の内容は大きく異なっています。ですから、このHPの主たるお客さんである百合野ゼミのOB ・OG間の時代のギャップを埋められたら、と思っています。それに加えて、このブログに迷い込んできた一般の方々にも監査論という大学の科目・学問領域を知っていただけたら幸いです。

そうそう、もう一つ。私は、昨年まで、最初の講義の冒頭に「ボクは京都生まれの京都育ちやから、京都弁訛りの標準語のようなものしか喋れません。もしもわからへん言葉があったら、遠慮なく質問してください」と言ったもので、その雰囲気を出すためには伊丹十三の本に出てくる「天皇日常(猪熊兼繁先生講義録)」の「天皇ーーとゆうても、孝明天皇でっせーー孝明天皇の時分、天皇が起きますね?これをオヒナルとゆうんですワ」という調子で「話し言葉」で書きたいのですが、試してみた音声入力は京都訛りを変換するのが下手で修正に手間どるため、とりあえずキーボードで入力する標準語的「ですます調」で始めることとします。

さて、百合野の監査論の講義が目指しているのは、「会計の領域」を超えてこの社会とくに日本社会を理解することです。そして、年配の方々は経験されたでしょうが、教授が言っても専門書に書いてあっても、鵜呑みにすることなく、自分自身の頭で考えて自分なりの結論を出すことが必要です。下左のスライドにあるように、(商学部のカリキュラムで監査論を受講している2回生)諸君は「大学生」であって「高校5年生」ではありません。「生徒」ではなく「学生」なのです。「徒」の意味も知ってください。

 

ついでに大学の「単位」の話をしておきましょう。大学の講義が今のように「半期制」ではなく「通年制」だったとき、体育実技は1単位、外国語は2単位、講義科目やゼミは4単位でした。体育実技は出席すればよいので出席単位の1が与えられるのに対して、外国語は出席に1単位と予習に1単位の合計2単位が与えられます。そして、講義科目やゼミの4単位は、出席の1単位と授業外学修に3単位が与えられるのです。ゼミの場合、グループ発表などの準備のために図書館で調べ物をしたりラーニングコモンズでプレゼンの練習をするので3単位分つまり270分の授業外学修をしなければならないことは理解できるでしょう。しかし、講義科目も同じなのです。大学では、授業に出席すればそれで十分なのではなく、授業外に270分かけて本を読んだり調査したりディスカッションすることが必要なのです。そのために毎年の登録単位数には上限がありますし、時間割はスカスカに見えるのです。

最近、よく「わかりやすく教えてください」とか「教科書は図書館で借りられるものを使ってください」といった希望を聞くことがあります。しかし、そもそも大学の講義は高校までの授業と違って内容自体が難しいものです。大学の教科書は読めばわかる入門書の場合もあるけれど専門書を使うことも多いので、さらっと読んだだけで理解できるとは限りません。知らないことや引用されている文献を遡って読まないと理解できないことも出てくるでしょう。今年の教科書下左、参考書は下右のスライドのとおりです。『はじめてまなぶ監査論』は読めばわかるので、改めて授業中に「説明する」ことはしません。『会計監査本質論』は、講義中に説明しますが、全ての項目にわたって説明するのは無理ですから、自発的に読んでください。参考文献は、必要に応じて触れます。いずれもAmazonで古本が手に入ります。

最初に「会計」と「監査」の語源について話しておきます。下のスライドに並列したように、会計の語源は英語の「account」で「説明する」という意味です。企業は財務諸表を使って財政状態と経営成績について説明するわけです。監査の語源はラテン語の「audire」で「聞く」という意味です。監査をする人は担当者の説明を聞いていろいろ判断するわけです。会計学は英語でaccounting、監査論は英語でauditing。両方とも「ing」がつく比較的歴史の浅い学問です。産業革命→大規模株式会社→資本市場の成長→利害関係者の多様化→企業の社会的責任の増大、というプロセスで会計や監査が重要になってきます。高校で世界史を履修しなかった諸君は、産業革命とその影響について調べておきなさい。他の学問領域の英語名を示しました。実際に発音してみると、古い学問の方が上品な印象を受けますね。

これまで説明してきたように、日本の監査実務と監査論のルーツはイギリスにあります。そこで、1990年から92年まで留学したイギリスでの日常生活で感じたことをまとめたエッセーを読んでおいて欲しいと思います。3回連載のそれぞれの要点は、下のスライドのとおりです。

1回目は以上です。

 

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