NHK エール

子供の頃、親戚一同が集まると、おじいちゃんは決まって私の両手をとって向かい合い、おじいちゃんの両足の甲の上に私の足を乗せて「ここは御国を何百里 離れて遠き満州の 赤い夕日に照らされて 戦友は野末の石の下」と歌いながら部屋の中を歩き回ったものだった。そのため、この歌は知らず知らずのうちに私の頭の中に入り込み、いつもおじいちゃんと合唱をしていた。しかし、大きくなって、この歌の2番、3番を知るようになり、やがて歌わなくなった。それは、軍歌であったにもかかわらず、悲しい状況が目の前に展開したからに他ならない。

「思えば悲し昨日まで 真先駆けて突進し 敵を散々こらしたる 勇士はここに眠れるか」そして、その後に戦友がそこに眠るまでの状況がうたわれるのだ。とても悲しくて歌えないではないか。

そして、戦争が始まってからのNHK「エール」は子供時代のこの経験を思い出させるので、涙無くしては見られない。50万枚を超える大ヒットとなったらしい「露営の歌」は「勝ってくるぞと勇ましく ちかって故郷を出たからは 手柄たてずに死なりょうか」と勇ましい歌い始めが、4番になると「思えば今日の戦闘に 朱にそまってにっこりと 笑って死んだ戦友が 天皇陛下万歳と 残した声が忘らりょか」となり、兵隊に取られれば生きては戻れない現実を突きつけられる。

さらに大ヒット「暁に祈る」は、「あああの顔であの声で 手柄頼むと妻や子が 千切れるほどに振った旗 遠い雲間にまた浮かぶ」という歌い出しが「ああ傷ついたこの馬と 飲まず食わずの日も三日 捧げた生命これまでと 月の光で走り書き」とくると、弾薬や食糧の補給が絶えた前線で人馬もろとも異国で死にゆく有様が目の前に広がる。映画「アルキメデスの大戦」の冒頭、撃墜された戦闘機から脱出したパイロットを助けるアメリカ軍の水上飛行機の様子を見て驚く日本兵の表情は、生きて妻や子のもとに戻れない日本兵の現実を見事に描いている。

大学院で指導を受けた西村民之助教授に、「これまでで一番嬉しかったことはなんですか」と不躾にも聞いた私に対して、「徴兵検査で丙種合格になったときやった。うちに帰るまで『手の舞い足の踏むところを知らず』やった」と即座に答えられた先生の表情を今でも思い出すことができる。映画「プライベートライアン」が描く人の命の大切さは、新島襄が「ひと一人は大切なり」と語ったことと同根だろうと思う。

「自助、共助、公助」と言って憚らない総理大臣のためには死にたくないなぁ、と、3月3日の教授会終了後に有志の方々が送別会を開いてくださった新町今出川の小さな居酒屋が閉店して改装されているのを見て、ふと思った次第。今こそベーシックインカムの議論が必要なのではないのか。