3月は、やはり「去った」

もともとブログを定期的に書こうと思ったのは、老後の生きがいとして「ノーベル賞を取る!」を掲げていたからだった。定年退職する際にいろいろな人たちから尋ねられたのが、この「老後の生きがい」についてだった。学者としての人生を送ってきて残念だったのは、会計学ではノーベル賞はおろか文化勲章も取れない、ということだった。

しかし、もしも「文学」で高く評価されたらノーベル賞や文化勲章を狙うチャンスが生まれる、という何ともゲスな下心があって、新聞小説の1回の分量をめどに読みやすい日本語を書く練習をしてきたのだが、早くも2年の月日が流れた。そして、このブログを読んでくださっている方々は感じておられるように、読みやすい日本語を書くレベルにはまだまだ達していない。

何気ない文章であっても、私は、その文章で述べていることが間違っていないかをどうしても確認せずにはいられないのだ。本当は、頭に浮かぶ「ある考え」を読みやすい文章ですらすら書いていきたいのだが、どうしても詰まってしまう。さらに、「ある考え」がどうも面白くない。長い間、人々の幸福度を高めるための社会的システムの構築を目指して研究をしていたために、日々マスコミを賑わせる「けしからん出来事」についての蘊蓄を傾けることでよしとしてきたきらいがあり、このことが面白くなさにつながっているようだ。

定年退職後丸2年が経過した今日、3月の最後の日に決意表明したい。明日からは初心に返って読みやすく面白い文章を書こう。