衆議院予算委員会なんか見てしまった

朝刊に「20年度統計4兆円過大か」と「13〜19年度 さらに巨額」という大きな見出しが踊ったことで、昨日の衆議院予算委員会での「GDPにおける影響は軽微と判断している」という山際経済再生大臣の答弁の妥当性に黄信号が灯った(と私は思った)今日の予算委員会の成り行きは如何という軽い気持ちでTVで予算委員会の中継を見た。(正確に言えば、朝ドラのドラマチックな展開=ドラマなんだから当然なのだが・・・=の後の番組での鈴木奈穂子アナの反応を見ていたら・・・いつの間にか国会中継になった、といった感じ)

冒頭、財務大臣が、すでに明らかになっている総務省の新年度予算関連資料の誤りに加えて、国土交通省、文部科学省、法務省でも同様の誤りがあったことを明らかにした。財務大臣に続き、国交相、文科相、法相がそれぞれ陳謝するのを見ながら、「予算関連資料の誤り」というのは極めて重大な事柄ではあるにもかかわらず驚いたり嘆いたり呆れたりしなくなっている自分に対して複雑な気持ちになった。

「モリカケサクラ」以降、自民党政権は、公文書の隠蔽・改竄.破棄があたかも「それほど重大なことではない些細な出来事」であるかのように対応してきているが、このブログでも触れてきたように、公文書の隠蔽・改竄.破棄というのは、「それほど重大なことではない些細な出来事」どころか「絶対にあってはならないレベルの重大な事柄」なのだ。世紀の粉飾決算事件と言われるエンロン事件で巨大国際会計事務所のアーサーアンダーセンが解体されたのは、粉飾を見逃したからではなく証拠を隠滅したからだった。証拠隠滅というのはアメリカではそれほどの重罪なのだ。(もっとも、連邦最高裁ではアンダーセンの主張が認められて無罪判決が言い渡された)

どうしてか?公文書が隠蔽・改竄.破棄されるのであれば、新型コロナの感染者数や重症者数や医療崩壊度やPCR検査数や陽性率をはじめとした国の公表するあらゆる数字が信じられないことになり、ひいては国の政策そのものも信じられないことになる。口にするのも悍ましい状況を招きかねないことになるのだ。本当に日本の名目GDPは世界第3位なのか?それとも幸福度ランキング56位の方が正しいのか?

実はこれはこれで由々しきことなのだが、今日の予算委員会で各大臣が陳謝した内容はこれよりもずっと低レベルの問題だった。「金額と記載の誤り」という単純なミスなのだ。そんなミスを霞ヶ関の官僚が気づかずに書類を仕上げるか?それをチェックした官僚も見過ごしたのか?最終的に誰も気が付かなかったのか?

政府が国会に提出した複数の法案の条文や関係資料に相次いでミスが見つかったのは確か去年のことではなかったか。そして今回のミス。本当に「ミス」で済ませていいことなのか?大臣が陳謝して済ませていいことなのか?

ミスで済まさないで、そのような低レベルのミスを犯した霞ヶ関の官僚のレベルの低下の方を疑う必要があるのではないか。国会に提出する文書を作成することこそが与えられた仕事なのに、ミスを見過ごしたまま国会に提出するというレベルにまで官僚のオツムの程度が下がっている、という事実を直視することが重要なのではないか。そういえば、有名受験校から東大に入り、司法試験や国家公務員試験に合格したのちに国会議員に当選した人たちの中に、とてもその経歴を信じることのできないレベルの人たちが何人もマスコミを賑わせているではないか。

「勉強そのものよりも受験の結果を判断基準にすること」をそろそろやめる時期に来ているのではないか。今朝の国会中継を見ていると、いろいろなことが頭の中を駆け巡った。