太平洋戦争末期の再来(?)

勝ち目のない対米戦争に突入し、真珠湾攻撃の奇襲は大勝利(その実、宣戦布告前に攻撃を始めた「卑怯な日本」キャンペーンにまんまと乗せられた、という説もあり)と思い込まされ、その後は、「欲しがりません、勝つまでは」の合言葉のもとに、生きるために最低限必要な栄養を取るための食べものすら我慢しなければならなかった日常生活を強いられながら、「いつかは必ず勝てる」と信じ込むうちにヒロシマ・ナガサキの惨劇を招いてしまった、あの悪夢の再来を彷彿させるこのところのコロナ禍の日々。

新型コロナウイルス感染者数のグラフと感染症の専門家や医療機関の悲痛な声だけが聞こえてくるだけではなく、メダリストとその関係者の歓喜の声も平等に聞こえてくるこの状況は、決して「大本営発表」だけが唯一の情報源だった80年前のこの国の状況と同じではないはずだけれども、いつの間にか竹槍でB29に立ち向かうことを強いられていた80年前のこの国の状況と極めて似通っていると感じられて、ふと首筋が寒くなっているのは私一人だろうか。

今もテレビで政府広報がコロナウイルス感染症注意喚起のPRを流しているが、それは、「進め一億火の玉だ」とか「パーマネントはやめましょう」「石油の一滴、血の一滴」といった国民に自己犠牲を強いるスローガンと同じ言葉にしか聞こえない。記者団を前にちっとも気持ちの込められていない日本語らしき言語を言い間違えつつ「発言している」菅義偉の虚な目が映し出されるTV画面と、汗みどろのウルフ・アロンや涙涙の萩野康介や笑顔いっぱいのフェンシング団体選手のインタビュー画面を交互に見ている日本人のどれだけが、この今の日本の状況を前の戦争中のこの国の状況と比べているだろうか。

無理やり開催したオリンピックのメダルラッシュを映し出しているTV画面に油断してはいけない。絶対に油断してはいけない。

この国には、自己満足のために日本国民を思うままに動かしたいと思っている輩が確実に存在している。その気持ちがありありと伝わってくるTV画面を見ているにもかかわらず、そのメッセージに耳を傾けない日本人の何と多いことか。TVの中の出来事と、今、自分を取り巻いている出来事を別物だと思っていたら、後でえらいことになる。決して別物ではない!決して別物ではない!

今回のオリンピックの日本選手団のメダル獲得数の多さには敬意を表するが、そのことと新型コロナウイルス禍の対応のまずさとは全く別。「責任者、出てこい!」と煽る人生幸朗の昔の雄姿を思い出しながら、一刻も早く日本人に対して「ごめんなさい、私が悪うございました」と視線を泳がせながら謝る菅義偉と安倍晋三の姿を、私は脳裏に思い描いている。