本を読もう! 4
4月10日、私のFacebookに次のように書き込んだ。
『企業会計』5月号の「ニューノーマル時代の読書術」というコーナーに「『落ち着けドナルド。落ち着け!』とグレタ・トゥンベリさんは言った」という私の寄稿文が掲載されましたのでお知らせします。『企業会計』を購読しておられない方は書店でお求めいただけると幸いです。(中央経済社に代わって申し上げます)
このときに『企業会計』を購入して読んでくださった方ももちろんおられることと思うが、先週、中央経済社のウエッブサイト「中央経済社・緊急情報発信サイト・新型コロナ危機下のビジネス実務」に転載されたので、クリックhttps://covid19-businesspractices.com/するだけで読むことができるようになった。これを機会に読んでくださる方が増えることを期待して、この原稿についてもう少し詳しく書いておこうと思う。
「本を読もう!」の1〜3を読んでくださった方はお気づきのように、私はここでも『ローマ人の物語』と『日本/権力構造の謎』を推奨している。
私の「手持ち」の貧弱さを心配してくださる方がおられるかもしれない。しかし、掲載誌の性格と与えられた字数、そして何よりも編集部からの依頼の趣旨を考え合わせたとき、この2冊を外すことはどうしてもできなかったのだ。
よく「新型コロナウイルスとの戦争」と言われるが、もしも戦争しているのだとすると、太平洋戦争最末期の日本国民が本気でアメリカ兵の上陸を竹槍で阻止しようとしていた悪夢のような歴史の再来に、この21世紀の日本国民は今まさに直面していると私は思っている。
どうすればコロナ以前の生活に戻れるのか、科学的根拠に基づくシナリオが全く示されないまま自粛生活を強制されている日本の現状は、75年前の敗戦時あるいは100年以上も前のスペイン風邪流行時からちっとも進歩していない実態を露呈しているにもかかわらず、日本国民は依然として「欲しがりません勝つまでは」「進め一億火の玉だ」精神を保持しているように見える。
この現状を直視して明るい未来につづく道を探るためには、(多分、日本人の好きな)自己啓発の本はいったん箱にしまって、今の私たちが生きている日本社会の問題点を気づかせてくれる本を読む必要があると思い、ここでも推奨したのだ。実は、学生に推奨したのが1999年、受験生に推奨したのが2005年、ということで、ちょうど私の50歳の時点からずっとこれらの本を推奨してきたことがわかる。
「会計」や「監査」という学問領域はよく「実践的」という言葉とセットで説明される。複式簿記で財務諸表を作成するプロセスだけをとらえればあながち間違っているとは言えない。しかし、このプロセスは一面にすぎない。本質的には、アカウンタビリティ(説明責任)と密接に関連しているのだ。そして、アカウンタビリティは会計の専売特許ではなく、欧米ではむしろ政治政治家の負っている説明責任の方がずっと重要だと考えられている。このことを理解すれば、今の日本の悲惨な状況は、政治的説明責任の不在が災いしていることに気づくことができるだろう。
他にも一般的な領域で類書はあるだろうが、あえて私は自分の『会計監査本質論』も推奨した。会計と監査が本質的にアカウンタビリティと密接に関連していることの重要性について書いた本書は、執筆の焦点を会計と監査の領域だけに限定したのではなく、縦の糸としての「歴史の連続性」と横の糸としての「会計と監査の社会的機能の拡張」が織りなす布を俯瞰することを心がけたので、自分の本を推奨するのは禁じ手かもしれないが、『企業会計』の読者向きという基準で選択した。
なお、蛇足の1は、「学者のいうことを聞いていたら政治はできない」と平気で言い放つリーダーを選挙で選ぶようなこの国だけれど、諦めずに研究することは日本国民に対する学者の責任だということを若い学者にどうしても言いたかった。蛇足の2で引用した山田和保氏は、この歳になるまで全く面識はなかったのだが、実は、同志社大学経済学部と大学院商学研究科で学ばれた公認会計士であり、大学院の指導教授は私と同じ同じ西村民之助先生。「神の見えざる手」を感じさせられる邂逅であった。