新型コロナウイルス禍の大学生諸君へのエール

去年の3月31日に学校法人同志社の退社式があった。Facebookに感謝状と朱雀高校の同級生の川本くんとのツーショットを載せたのだが、あれからちょうど1年経ったわけだ。政府のコロナ対応の稚拙さ、および、その稚拙さに文句を言わないで唯々諾々として自粛生活を送る日本国民の大人しさを振り返ると、民族の持つDNAの存在の大きさを改めて思い知らされる。ま、リタイヤ老人の繰り言はこの程度にして、明後日から大学生としての新たな生活を始める若い人たちにエールを送ろう。

下の記事は、1998年4月に同志社大学に入学した新入学生諸君向けの『One Purpose 』に掲載された井尻雄士教授の「虹と会計」と題する寄稿である。

井尻雄士という名前を知っている人は、かなりの年配の、しかも会計学とそこそこの関わりのある人に限られるであろう。しかし、井尻先生は知る人ぞ知るもっとも国際的知名度の高い日本人会計学者なのである。まず本文をご一読ください。

この当時の公認会計士試験は今と違って司法試験と並ぶ超難関資格試験だった。文章にあるように、井尻先生は、試験に合格するために高校時代から勉強し、さらに、卒業に必要な一般教育科目の単位取得後の3回生で受験するのが普通なのに、入学前に一次試験を受けて受験資格を得て2回生で二次試験に合格するという離れ技をやってのけたのだ。

そして、アメリカの会計事務所勤務を経て大学教授となり、ノーベル賞にもっとも近い会計学者と呼ばれるような研究業績をあげられたのだが、新入生諸君に伝えたいのは、社会に出てからの立身出世のことではなく、大学生としての学びの姿勢についてである。

このエッセイには「7科目の二次試験科目」と「7色の虹」のことと、先生の頭の片隅に長年住みついていた謎のことが書かれている。どういう意味だ?また、ここには出てこなかったが、井尻先生のご著書には「同志社大学商学部の西村民之助ゼミで読んだ『衣装哲学』」のことが出てくる。トマス・カーライルの『衣装哲学』と会計学はどのように関連しているのだ?

井尻先生が同志社で過ごされたのは短期大学の2年間に過ぎなかった。しかし、たった2年間でも、その後の人生に大きな影響を及ぼす恩師に巡り合うことができるし、深く思索を巡らせることもできるのだ。

大学生諸君が新型コロナウイルス禍の様々な困難さに遭遇していることには同情する。しかし「待っていてもウサギは木の根につまずかない」ことを早く知り、あるいはそう自分に言い聞かせて、受け身の生活とは直ちにおさらばしてほしいと私は強く願っている。大学は「授業を受ける」ところではない。自ら進んで「研究する」ところなのだ。大学というワンダーランドを走り回る大学生であれ!

余談ながら、井尻先生とは比べ物にならないが、私も西村民之助先生の薫陶を受けた。先生の最後の大学院ゼミ生である。学部ゼミの指導教授だった岡村正人先生からも、大学院で修論指導をしてくださった内川菊義先生からも、計り知れないほど大きな影響を受けた。また、学部でなぜか履修したスペイン文学の大島正先生と大学院の嘱託講師だった久保田音二郎先生からは、「たまたま巡り合った」とは思えない「人生の羅針盤」的付き合いが続いた。ワンダーランドを走り回って良き師と巡り合わんことを!