京都観世会1月例会 3

(承前)お能の会における狂言の扱われ方はひどいものだ。すでに狂言が始まっていても、かなりの数の観客が席を立つ。次のお能に備えて腹ごしらえをする人もいれば、謡の練習のためにお能の会に来ている人は狂言にははなから興味がない。今日も、お能が2番続いた後にぞろぞろ席を立つ観客の背中に向かって、丹波の百姓役の茂山あきらさんの今も変わらないよく通る高い声が響いて、狂言「筑紫奥」が始まった。

筑紫の百姓は茂山千五郎さんが演じたが、私にとって茂山千五郎と言えばなんと言っても四世の千五郎さん。たまたまもらった市民狂言会の切符を見せながら「市民寄席なら行くんやけど、誰かにあげようか」と家内に言ったら、「何言うてんの、千五郎さんの狂言は絶対にに面白いから、見に行こ」と言われたのが、茂山狂言にのめり込んだきっかけ。千五郎さんがセリフを言う前に、私は笑い転げていた。今日の千五郎さんは、そのお孫さん。

あきらさんと千五郎さんにつられて一緒に大笑いする奏者役の茂山七五三さんは四世の次男で四世の本名を名乗っている。お正月にうってつけの「笑う門には福来る」茂山狂言を観ながら、茂山狂言についても書いておかねばならない気持ちになったのだが、それは義実に譲るとして、四世のお子さんと甥っ子とお孫さんの共演を大いに楽しんだとだけ書いておこう。

ちらし寿司をノドにつめた20分の休憩のあとは観世清和さんの「葛城」。私は、この観世清和さんを長い間誤解していたようだ。觀世宗家であるにもかかわらず、どういうわけか「奇人変人」であるかのような印象を持っていたのだ。京都の観世会館で観る機会は多くないのにどうしてそのような印象を持っていたのか不明なのだが、今日の舞台は、その偏見を打ち消すに足る美しい声が舞台に響き渡った。福王茂十郎さんの低い美声も印象的だった。

最後は吉浪壽晃さんの「小鍛冶」。実は、我々は吉浪さんのお能で眠りに落ちたことがない。寝たら岡田くんに悪いから、ではない。吉浪さんのお能は、けっこうストーリー性があるとともに、外連味のあるお能もあって、見ていて面白いのだ。「小鍛冶」も、セリフは理解しやすいし、正面に向かって剣を打つ場面があって、子供の頃、自宅の前の新町通を北に歩くと鍛冶屋さんがあって何かを打っていたことが思い出されて、あっという間に附祝言となった。

京都観世会館での充実した一日だった。